岐阜県関市洞戸の最北部にそびえ、標高1224m、岐阜県の中濃地区一の高峰として知られる山が高賀山である。 高賀山信仰の拠点として崇められ、妖魔退治の舞台としても名高い。 「高賀癒しの郷」の象徴である。

高賀山

高賀山
ひときわ高くそびえる高賀山を神と崇めて信仰の対象とし、時に厳し修行の場としたことで生まれた高賀山信仰。 この希稀で貴重な歴史は、高賀山の存在なしにはありえませんでした。

どれほどの人々が、この高賀山を偲びこの地を目指したことでしょう。 このサイトの舞台「高賀癒しの郷」の魅力も高賀山なしには語ることができません。

高賀山 高賀山 高賀山

岩屋と力石

ともに、高賀山頂を目指した修験者達がより所にしたであろう、登山道の途中に鎮座するいわれのある石です。

岩屋 岩屋
高賀登山道の八合目あたりにある、自然の岩石が重なり合ってできた珍しい洞窟です。
間口約4メートル、奥行きは約5メートルとかなりの広さです。以前はここに岩屋不動がお祀りされていて、昭和の初めごろまでは、山仕事を行う人達がこの中で寝泊りをしたと言われています。


力石 力石
高賀登山道の脇にあるこの自然石には、力を授けてくれる神様が宿っていると言われています。
昔は峯稚児神社へお参りに行く時、このあたりで小石を拾って、その岩の上へ投げ上げると力が備わり、元気で峯稚児神社へ参拝することが出来たと言われています。
岩の高さは約200センチ、幅は約400センチです。

高賀山登山大会

山頂からの景色 登山山頂 毎年4月29日の春の奥宮祭(峰稚児神社祭)の日には、高賀登山大会が行われています。
登山口から1時間半ほどで登ることができる山頂からの眺めは絶景で、例年、家族づれなど約300人の参加があります。毎年、欠かさず訪れる人が多いのが特徴です。
【写真右:山頂からの白山連峰】
この日に、山頂では春の奥宮祭での子ども神楽や「大声大会」などの催しものもあります。
心地よい汗に、いにしえの修験者の思いを感じとることのできる高賀山登山大会に、是非ご参加ください。

高賀登山 登山大会 登山口

高賀山を目指した木地師

木地師が美濃国二王谷(根尾)に入ったと記録されているのが、承平五(935)年と、永和年中(1375〜7年)です。<美並村史より> その後、板取、洞戸、郡上へと移っていったと考えられます。 これらから、10世紀の中頃には、洞戸に木地師が入って来たと考えられ、高賀の里では木地師と地元民との間で、何らかの争いがあったことを伺わせる記述が、「高賀宮記録」から読み取ることができます。
木地師が高賀の里へ入ってきたことにより、それまであった高賀の山を神と崇める山体信仰に少なからず影響を与たえ、高賀の虚空像菩薩信仰も、木地師がもたらしたものと思われます。
また、高賀の長屋姓は木地師の末裔との説もあり<美並村史「藤原長屋正統記」より> 木地師と高賀の里の関係は、千年以上もの歴史があることになります。

木地師とは・・
木地師とは、惟喬親王(これたかしんのう)を祖として、トチ・ブナ・ケヤキなどから、椀、盆、膳などを作る人々をいい、彼らはその山の木々を切り尽くすと木を求めて新しい山へ移っていきました。
彼らは定住の地を持たず、天皇家から山の木々を自由に切ることを許された特権を持っており、良材を求めて山や谷を越えて移動する生活をしていたのです。(木地師発祥の地は近江の国、滋賀県東近江市君ケ畑荘と言われています。)

※惟喬親王(844年〜897年)
平安時代の皇族で、文徳天皇の第一皇子。皇位継承の地位にありながら、藤原良房の反対で実現できず、その後出家。 轆轤(ろくろ)の技術を考案した人物として、後に木地師の祖とされるようになった。