高賀神社所蔵の仏像は二十三体あり、現在は本殿東の文化財蔵庫に納められています。その中で天治元(1124)年作の仏像と言われる聖観音座像や、像高147pとひと際大きい大日如来座像など、平安期から室町期にかけての貴重な仏像が残されています。

大日如来座像

大日如来 収蔵庫内で一番大きく威圧感のある仏像、それが「大日如来座像」(県重要文化財)です。
胎内仏 この仏像は平安末期のもので、一説には行基の作といわれています。高さ147cmのヒノキの寄木造り。この地方にこれだけの大きい仏像があったという事は、それだけ信仰の厚さを物語っており、大日如来の存在は、高賀神社が平安末期には本格的な密教寺院であったことを物語っています。
今は高賀神社の本殿横の収蔵庫に安置してありますが、当時は大日堂(=本地堂)が高賀神社境内にあり、その本尊として祀られていました。
左は、上記、大日如来坐像の体内に安置してあった体内仏の写真です。

高賀最古の木造仏

十一面観音の背面 十一面観音 高賀神社所蔵の仏像で最古のものが聖観音座像です。ヒノキ材による一木作りで、白土地彩色であったと思われる。背面材には天治元(1124)年の像立銘があり、平安時代の作風をよくあらわした像です。背面を割り矧いで内部を刳りだす技法は当社の仏像群の中では数少なく、進んだ技が取り入れられています。
保存状態は各部に欠損があり、彩色も剥落していて決して良くはありません。制作年代が明確な木造仏としては、岐阜県下で一番古い貴重な仏像と言われています。

虚空蔵菩薩像

虚空蔵菩薩 この虚空蔵菩薩座像は、明治初の「廃仏毀釈」運動が始まる前までは、おそらく高賀神社の本殿(虚空蔵堂)の中央に安置してあったものと推察され、最も重要な位置にあった仏像と言えます。(像高49.6cm)
ヒノキ材で寄木造りの漆箔(しっぱく)仕上げ、高賀神社所蔵の仏像群中一番華やかさを保った仏像です。作風は粘りのある衣文や、現実感がある表情等、室町時代前半に見られる特徴を持っています。


懸け仏

懸け仏 高賀神社にある「懸け仏」は、鎌倉時代から室町時代にかけてのものであり、虚空蔵菩薩信仰の全盛期の時期とほぼ一致して、一番多い御正体(仏像)は虚空像菩薩です。
これらの「懸け仏」は美濃の国はもとより、近隣諸国からの参拝者から奉納されたもので、現存している「懸け仏」の数は二百七十余面(洞戸村史より)にのぼります。しかし、保存状態が悪く、ほとんどのものは鏡板と御正体が離されており、明治初年から激しくなった「廃仏毀釈」運動の爪あとを確認することができます。
「懸け仏」は、丸い鏡(青銅製、銅製または木製)のご神体に本地仏(虚空蔵菩薩や薬師如来等)を浮き彫りにしたもので、神と仏が一体となった形「神仏混合」そのものを表したものなのです。時代を遡るほど鏡が大きくなり、直径35cmを超えるものから、室町時代には直径6cmと小さなものまであります。

僧形立像

僧形立像 僧形立像 高賀神社所蔵の仏像群の中で、他地域にあまりなく注目すべき像として、「僧形立像」(平安後期)があります。
この像と同じ平安期の僧形立像が那比新宮神社にも伝えられていて、これらの像の存在は、高賀山信仰の独特な信仰形態を意味し、神仏混合思想に基づく密教寺院であったことを物語っています。