円空の初期の仏像が郡上市美並町に残されていますが、その像は高賀神社の神像とよく似ていて、円空はかなり早い時期に高賀神社を訪れているのではと言われています。つまり円空仏が作り出された最初の土壌に、高賀山信仰があったことは間違いないと言えます。
さらに晩年、歓喜天を彫って入定を決意した場所も高賀であり、自分の意思を貫いた証として、出発点である高賀神社に錫杖と硯を納めたと考えられ、円空にとって高賀は、特別な地であったに違いありません

円空仏

一木造り三像【十一面観音・善女竜王・善財童子】
一本の木を縦に三つに割って材とした一セットの円空仏であり、それぞれの顔を中にして向き合うように置くと一本の木になります。
善女竜王 十一面観音 善財童子 一木造り三像 円空は、母親を洪水で亡くし悲しみから自分自身を善財童子に見立て、善女竜王を母に見立てて意図的に彫ったように思われます。三位の像を内側にぴったり合わせた形は、十一面観音に自分と母が抱かれる形となり現世で果たし得なかった願いがこの像に込められています。

虚空蔵菩薩像 虚空蔵菩薩 虚空蔵菩薩
高賀山信仰が一番栄えた時代、それが鎌倉時代から室町時代にかけてで、そのご本尊となっていたのが虚空蔵菩薩でした。円空がこの高賀の地で仏像を彫ったのは江戸時代前期(17世紀)であり、高賀山信仰の華やかな時期が終わりを告げていて、高賀の神々の地は静かな山里であったと思われます。
そなん時期に円空が、1メートルを超える大きな虚空蔵菩薩像を彫り、高賀神社へ奉納したことは、この地が円空にとって特別な所であり、造顕意欲をかきたてる、何かエネルギーを感じることのできる土地であったと言えます。

歓喜天 歓喜天像
円空が高賀神社に残した仏像で、ここにしかない仏像、それが「歓喜天」です。
「歓喜天」はもともと男女の喜びを(動物の)象の姿で表したものですが、この像の台座には「釜且 入定也」と彫り込まれています。このことから、この歓喜天像は円空が元禄九(1695)年に入定することを決意したことを暗示した像として貴重なものだと言われています。
「釜且 入定也」の「釜」は数量の単位、六斗四升を意味すると解され、「且」はまさに、ここに、かりそめ等と解されます。元禄五(1692)年高賀で死を予覚した円空が三年後の64才で入定することを決意して予言し、歓喜天の台座に「大地にかりそめの入定也」と刻書したものと考えられます。
元禄五年、造顕活動を止めて三年間「千日行」を高賀で行った円空は、関市池尻弥勒寺で即身仏になるため入定しました。

狛犬 狛犬 狛犬
高賀神社には、円空の狛犬が大小あわせて4対と1体、計9体の狛犬が残されています。円空は、高賀の地に何度来ても狛犬が無いのを気にかけ、来るたびに狛犬を奉納したと伝えられています。
円空の狛犬が数多くあるのは、全国で高賀神社だけです。一番大きな狛犬は高さ98.5センチもあり、一番小さいものでは、高さ7.2センチと大変可愛らしいものまで保存されいてます。現在、高賀神社にある狛犬(石作り)は2対ありますが、一対は本殿前にあり大正時代の作、もう一対は平成になってからの新しい狛犬です。

牛頭天王像 牛頭天王像
円空は<牛頭天王>(平安時代中期〜後期の牛頭天王信仰)像も彫り上げています。



不動明王像 不動明王像(洞戸で最初の円空仏)
円空が出家してから、最初に高賀を訪れたのは寛文十一(1671)年です。奈良の法隆寺で修行をした後、高賀へ向かう途中、洞戸菅谷にあった山伏宝寿院で、不動明王を彫り上げています。 この像は、洞戸菅谷地区の個人の所有であったものを、現在は円空記念館に安置して、一般参観できるようになっています。


円空の足跡

錫杖 硯箱 硯 錫杖・硯・硯箱
円空が使ったとされる、硯と硯箱、錫杖が洞戸円空記念館に展示してあります。
硯の裏側には、峯児と彫られています。 錫杖には、円空の持ち物らしく柄の部分には円空独特の彫りものがあり大変貴重なものです。
【写真右から錫杖、硯箱、硯】

神符 神符
高賀神社には円空自筆の神符が30枚残っています。現存している円空自筆の墨書の数の多さには驚かされます。
「神符」というのは、今で言う「お札様」のようなもので、そのもの自体を神仏としてお祀りし、家内安全や厄除け祈願をしたものであると考えられています。
「神符」の内容は、「南無大菩薩」14枚、「南無大明神7枚、「八百万大明神」9枚です。

円空と雨乞い
元禄五(1692)年四月十一日、円空は峯稚児神社で雨乞いの祈祷をしています。村人が日照りに苦しんでいるのを見かねて、雨乞いの神事をしたのでしょう。
円空が自ら書いて奉納した懸け仏が、高賀神社には残っていて、その懸け仏の裏側には、「雨乞いをしたところ、天上に、にわかに雲が出てきて大雨にめぐまれた」と記されています。
懸け仏 【以下は円空の懸け仏(右写真)に書かれた自筆の裏書の翻訳文です。】










和歌集 和歌集
円空が高賀神社の「大般若経」を修復する際、巻子本形式から折本形式に改めた時、表紙の裏等に自作の和歌を書いた紙を貼りこんでいて、その和歌の数はなんと千五百首にものぼります。
仏像作りの目標が十二万体と多いことが知られていますが、和歌の数も高賀だけでこれだけあるとは驚きです。ちなみに、円空の「和歌集」は、高賀神社の他に飛騨の千光寺と三重県の志摩地方にも残されており、和歌の数は何千にも及びます。
円空の歌集には、信仰が人を守り、導いて行くとか、後代までも受け継がれていくといった考えの歌が盛り込まれており、「大般若経」に自らの歌を貼りこんで行くことで、自分の宗教感を「大般若経」とともに後世に残そうとしたものと思われます。

円空記念館

円空記念館 高賀の郷が全国からの修験者や信者を魅了した様に、円空も入定の決意を固めるほどこの地に魅せら、価値のある多くの作品をここに残しました。
円空記念館には、30体近くの円空仏が展示してあります。

  • ところ: 関市洞戸高賀1212番地
  • 休館日: 毎週月曜日・祝日の翌日・年末年始(12月29日〜1月3日)
  • 開館時間: 前9時〜午後4時30分
  • 入場料: 大人 個人200円 小・中学生 無料

円空記念館入口 円空記念館内部 円空記念館内部 円空記念館内部