所: 岐阜県関市洞戸菅谷
社紋: 並び矢・梅鉢
社殿  並び矢は矢作大明神、梅鉢は菅原道真の神紋

◇創 建 
 永享七(1435)年
◇創建者 
 山崎権之太夫


◇ 縁 起
 本神社は、天暦元(947)年高賀大本宮諸社と同時に創建され、山崎白羽之神社、高賀山矢作大明神と称していた。後に、応安二(1369)年大洪水により流失し以来再建されずにあった。
永享七(1435)年、高賀の若宮の神主山崎権之太夫が初夢で、白羽之神社を再建すべしとのお告げを聞き、菅原谷の地に七月に遷宮した。
創健者である山崎氏の出は菅原氏であることから、菅原谷の地名では恐れおおいと地名を菅谷に改めた。後に、山崎権之太夫は高賀から菅谷に引越し矢作神社の神主となった。現在、矢作神社近くで『山崎』という字名が残されており、神主山崎権之太夫の住居地からとった字名と推察される。
砥石  「高賀宮記録」の中では、「砥河原の辺りに白い鳥の羽根と箭があり、そこで矢を作って高光公に献上せよと、その場所に社を建て高光公持参の矢をご神体として級長戸辺尊、級長津彦尊、八幡大神をご本神として天暦元年九月十日に遷宮。」と記してある。
菅谷地区には昔から「砥石山」と言われる山があって、今でも良質の砥石を採取することができ、当時から、矢を研ぐのに適した砥石があったことを物語ってる。
また、当神社には、『大明神庄壇造立永享七年九月十日』の棟札(洞戸地区の神社で現存する最古の棟札)が保管されており、それには、「大旦那山崎守儀□」と記されている。これは「高賀宮記録」にある、矢作神社を再建した「山崎権之太夫」のこととされている。

神社本殿正面 神社本殿 ◇ 御 祭 神
・級長戸辺命(シナトベノミコト)
・級長津彦命(シナツヒコノミコト)
 神名の「シナ」は「息が長い」という意味。古代人は、風は神様の息から起きると考えていた。そのため風は稲には欠かせないものであるが、台風などの暴風には人に大きな被害を もたらすため、各地で暴風を鎮めるために建立された。
 日本書記では「シナトベ」は女神とされ、他の神社ではシナツヒコの姉、または妻としてお祀りしてあり、本来は男女一対の神であろうと思われる。
 伊勢神宮には内宮の別宮に風日祈宮(かぜひのみのみや)があり級長戸辺命・級長津彦命をお祀りしている。元寇の時に神風を吹かせたのは、これらの神々であることから、「風日祈宮」の宮号が付けられている。
 御神徳・・五穀豊穣、戦勝祈願、航海安全

・菅原道真(スガワラノミチザネ) (845〜903)
 平安時代の優れた政治家、歌人であったが、政争に巻き込まれ、都から九州大宰府に左遷させられその地で没した。後に都に落雷が頻発し疫病が蔓延した。それを道真の祟りと恐れた公家たちは、菅原道真を祭神とした北野天満宮を建立して祟りを静めようとした。これが道真が天神として祀られるようなにった由縁である。
道真は生前すぐれた学者、歌人、政治家であったため学問の神様としても各地で祀られるようになった。
 御神徳・・学問成就

十社神社 ◇ 末社:十社神社
 菅谷地区にあった十の神社が、昭和の初めに矢作神社境内に集められてお祀りしてあった。その後、それら祠の傷みがひどくなったため一つのお社にしてお祀りするようになった。
{十社神社に合祀された神社}
 宮川神社・丸石神社・山神神社・荒矢神社・笠神神社・熊野神社・大洞神社・藤森神社・天神神社・沓森神社


丸石(右) 丸石(左) ◇ 社殿の両脇にある「丸石」
 現在、この「丸石」(直径約120センチ)について詳しい由来を伝える資料は残されていない。
・「丸石信仰」
 関東には道祖神としての丸石信仰が伝えられているようで、辻や、道路のあちこちに見られる。関西においては、熊野で見られるように御神体としてお祀りしている場合が多く、 お社を作らず丸石そのものを御神体として礼拝する形が残っているようです。
 矢作神社の「丸石」は、お社を作る前からこの地にお祀りしてあったご神体なのかも知れません。