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若宮八幡社 (2007-9-22 18:51:07)
高賀神社本殿の西側に並んで立っている社が若宮八幡社です。
社殿の規模も本殿と同等で、一説によると現在の社は本殿より古いとされています。
社殿の規模も本殿と同等で、一説によると現在の社は本殿より古いとされています。
この若宮八幡社については、地元でも詳しい事がほとんど伝えられていません。
そこでいろいろ調べ、考察した内容を記してみます。
1. 本殿の祭神と血縁関係の神、本殿の神の子、孫といった神が祀られている場合を若宮と呼ぶ。
2. 本殿より、後に何がしかの理由でまったく別の神を勧請し、本殿より新しいという意味で若宮と呼ぶ。
3. 本殿の神より古い神。つまり土着神がもともと祀ってあり、後にその地を別の勢力が納めたため、土着神を
そのままお祀りした時、その古い神を、本殿の神より格を下げた見方で、若宮と呼ぶ場合があります。
そのままお祀りした時、その古い神を、本殿の神より格を下げた見方で、若宮と呼ぶ場合があります。
高賀神社の場合、3番目のパターンが当てはまるように思えます
仮に3番目のパターンとした時、「古い神」あるいは、「土着神」とはどんな神かと考えると、手がかりとして「高賀宮記録」には、
'''『若宮は、福部ケ岳へ降臨した神が、下津盤根の河原の辺りで弓を作って来るように言われ、この弓をご神体として、甲弓山鬼大王神、月弓の神、八幡大神ご本神として鎮座、この宮を高賀宮弓矢の神社と言う。』'''
とあることから、鎮座したとされる '''「甲弓山 鬼大王神」'''こそ、藤原高光が高賀の郷で最初に退治したとされる
「牛角を持った大鬼」そのものではないだろうか。
「牛角を持った大鬼」そのものではないだろうか。
つまり、退治、屈服させられた者を疎かにしておくと、後の為政者に祟りや災いが起こると信じられていたため、手厚く祀るのが日本史の常識だとすれば、若宮八幡社は、本殿(虚空蔵菩薩)の神仏を信仰する者たちに征服された、先住の人たち、あるいは土着の神々を祀る社なのではと考えられます。
また、若宮八幡社に祀っている八幡神は、もともと応神天皇のこととされており、戦の神としての信仰面もあることから、甲弓山鬼大王神を封じる役として同社の中に八幡神を勧請し祀ったとも考えられます。
ちなみに、出雲大社の本殿も、出雲の国の主、大国主尊を、出雲を征服した大和朝廷の神々数柱が監視するがごとく社殿に配置され、お祀りしてあるのと同じに思えます。
その昔、高賀では、本殿の祭り、若宮の祭りとそれぞれ別の日に別の人たちがお祭をしてきたと言われており、同じ高賀の郷に住んでいながら、別々でお祭をするあたりにも、何か深い歴史があるような思えてなりません。
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