RSSセンター
メイン | 簡易ヘッドライン |
十王堂・・・保福寺 (2008-2-24 18:35:44)
保福寺境内にある十王堂は、いつからここにあるのかはっきりしていませんが、''' 「武儀郡邑絵図二」
'''、文久三(1863)年作成(岐阜県立図書館蔵)の絵図面によると、今の保福寺の境内ではなく、菅谷地区の墓地(字穴洞)あたりにあったようで、現在の場所に移されたのはそれ以後ということになります。
十王信仰は江戸時代に民衆の間で盛んに信仰されたようで、洞戸地区では、唯一このお堂が残されています。
お堂の中の十王像は、随分古いようで損傷が激しく、当初はきれいな彩色仕上げの像であったようです。
この十体の像の中には、馴染み深い名前、''' 「閻魔大王」 '''の名もあります。
死後に天国へ行くのか、地獄へ落ちるのかを決める裁判官たちが、この「閻魔大王」をはじめとする10名なのです。
死後に天国へ行くのか、地獄へ落ちるのかを決める裁判官たちが、この「閻魔大王」をはじめとする10名なのです。
十王信仰(じゅうおうしんこう)とは、地獄を支配する10人の裁判官に対して慈悲を乞う信仰。 生前は十王を祭り、死後の罪を軽減してもらうという意図があった。 十王は死者の罪を吟味し、 地獄へ送ったり、六道への輪廻を司る役目を果たしていたとされています。
死者の審理(裁判)は通常七回行われる。
没して後に、七日ごとにそれぞれ
''' ・秦広王(初七日)'''
''' ・初江王 (十四日) '''
''' ・宋帝王(二十一日) '''
''' ・五官王(二十八日) '''
''' ・閻魔王(三十五日) '''
''' ・変成王(四十二日) '''
''' ・泰山王(四十九日) '''
の順番で一回ずつ審理を担当する。
ただし、各審理で問題が無いと判断された場合は次の審理に回る事は無く、抜けて転生(生まれ変わる)していく事になるため、七回すべてやるわけではない。
七回の審理で決まらない場合も考慮されている。
追加の審理が三回、''' 平等王(百ヶ日忌)・都市王(一周忌)・五道転輪王(三回忌) '''と言う形である。
ただし、七回で決まらない場合でも六道のいずれかに行く事になっていて、追加の審理は実質救済処置のようなもの。
もしも地獄道・餓鬼道・畜生道の三悪道に落ちていたとしても助け、修羅道・人道・天道に居たならば徳が積まれる仕組みとなっている。
なお、仏事の法要は大抵七日ごとに七回あるのは、審理のたびに十王に対し死者への減罪の嘆願を「現世の者」が行うためで、追加の審理の三回についての追善法要は救い損ないを無くすための受け皿として機能していたようてす。
没して後に、七日ごとにそれぞれ
''' ・秦広王(初七日)'''
''' ・初江王 (十四日) '''
''' ・宋帝王(二十一日) '''
''' ・五官王(二十八日) '''
''' ・閻魔王(三十五日) '''
''' ・変成王(四十二日) '''
''' ・泰山王(四十九日) '''
の順番で一回ずつ審理を担当する。
ただし、各審理で問題が無いと判断された場合は次の審理に回る事は無く、抜けて転生(生まれ変わる)していく事になるため、七回すべてやるわけではない。
七回の審理で決まらない場合も考慮されている。
追加の審理が三回、''' 平等王(百ヶ日忌)・都市王(一周忌)・五道転輪王(三回忌) '''と言う形である。
ただし、七回で決まらない場合でも六道のいずれかに行く事になっていて、追加の審理は実質救済処置のようなもの。
もしも地獄道・餓鬼道・畜生道の三悪道に落ちていたとしても助け、修羅道・人道・天道に居たならば徳が積まれる仕組みとなっている。
なお、仏事の法要は大抵七日ごとに七回あるのは、審理のたびに十王に対し死者への減罪の嘆願を「現世の者」が行うためで、追加の審理の三回についての追善法要は救い損ないを無くすための受け皿として機能していたようてす。
つまり、死後、身内の者がしっかりお寺さんに頼んで、七日ごとの法要や、一周忌、三回忌といった法事を怠けると、死んだものは成仏できず、地獄へも天国へも行けずに永遠にさ迷う可能性があるっていう事のようです。
私も、この十王信仰を勉強して、はじめて葬儀後の七日ごとの法要や、一周忌等の法事の意味が解りました。
いずれにしても、現世で悪い事をしては、「地獄に落ちるぞ」と言う戒めなのですが、毎日のように凶悪事件が起きている現代社会において、無宗教と言う人が多い中、もう一度宗教感の見直しが必要なのではないでしょうか。
雪を被って寒そう・・
平成になってから建立されたもので、六体とも今風の顔立ちでした。
石仏も作られた年代によって顔立ちが変わって来るのですね。
execution time : 0.114 sec