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円空と雨乞い (2008-2-23 17:26:09)
円空さんが晩年滞在していた高賀山は、もともと五穀豊穣をもたらす水の神が宿る山として
信仰(後に十一面観音信仰へと変わっていきます。)を集めていました。
信仰(後に十一面観音信仰へと変わっていきます。)を集めていました。
太古の昔から、日照りが続き作物ができなくなると、高賀の山で雨乞い神事がおこなわれたと言われています。
その雨乞いをした事を裏付けるもの、つまり、円空さんが雨乞いをしたことを記したもの(懸仏)が、洞戸円空記念館に展示してあります。
七歳使者現玉 元禄五年壬申卯月十一日 此霊神成龍王天上 一時過大雨降 大龍形三尺余在 此不可思議 大般若真読誦時也 円空 (花押)
元禄五(1692)年四月十一日、円空は高賀山の山頂近くにある峯稚児神社(高賀神社の奥の院)で、雨乞いの祈祷をしています。
円空さんが自ら書いて奉納した懸仏が高賀神社に残っていて、その懸仏の裏側には、
'''「雨乞いをしたところ、天上に、にわかに雲が出てきて大雨にめぐまれた」'''と記されています。
'''「雨乞いをしたところ、天上に、にわかに雲が出てきて大雨にめぐまれた」'''と記されています。
祈祷と言えば、護摩を焚いて、念仏をひたすら唱える山伏の姿を思い浮かべるのですが、ここ洞戸にも明治の初めまで「宝寿院」と名のる山伏が、現在の矢作神社入り口に付近(現在は神社駐車場)にお堂を構えていたそうです。 そこへ円空さんが奈良の法隆寺での修行の帰り、高賀山を目指していく途中に「宝寿院」に泊まり、不動明王を彫り上げて行ったとされています。その像は洞戸円空記念館に保管されています。
円空さんは、困っている人々を救済するために、木っ端仏を彫って人々に与えたり、病気の人への祈祷や
雨乞い神事等、普段誰もやらないことを、弱い村人たちのために率先して行っていたのですね。
雨乞い神事等、普段誰もやらないことを、弱い村人たちのために率先して行っていたのですね。
現代も「平成の円空さん」が現れたらいいのですが・・・
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