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feed 牛戻し橋 (2007-8-22 18:43:06)

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 高賀の郷の入り口には、高賀谷に架かる通称「牛戻し橋」という名の小さな橋(谷戸橋)があります。
むかしから、この橋より先へは牛を入れてはいけないと言い伝えられていて、今でも牛を入れないようにしているそうです。

 ちなみに、戦後まもなく高賀地区の人で牛を飼って生計を立てようと、この地で牛の飼育をはじめた人がいたそうですが、思うように牛が育たずすぐにやめてしまった話を、地元の古老に聞いたことがあります。

 最近まで、高賀地区には牛肉を食べない風習があったと聞いています。 また、虚空蔵菩薩の眷属(お遣い)であるウナギも戦後しばらく、高賀の人たちは口にしなかったそうです。
 
 高賀山の東側、粥川谷(郡上市美並町)にある星宮神社付近の地域では、今でもウナギは大切な神の使いとして絶対に採ったり食べたりしないそうですよ。(この地区に生まれなくてよかったぁ!)


 なぜ牛を高賀の郷へ入れないのかはいろんな説があるようですが、ひとつには「高賀宮記録」にある「牛角を持つ大鬼」の退治伝説と関連していて牛=妖魔との解釈から高賀の神々が牛を嫌ったためとも考えられています。

 洞戸村史によると、従来からあった「虚空蔵菩薩信仰」(虚空蔵菩薩 = 智慧の仏、木地師、修験者等の信仰を集めた。)と、あとから入ってきた「牛頭天王信仰」(牛頭天王=疫病退散の神)との葛藤があり、牛頭天王信仰に象徴される「牛」を入れないようにしたことによる。との説が書かれていますが、現在の高賀神社には、若宮八幡社の横に牛頭天王社がおまつりしてあります。

 牛頭天王信仰を「牛戻し橋」で入れないようにしていたのであれば、牛頭天王の社は高賀には無いはずなのですよね。


 私が思うに「牛戻し橋」は、牛頭天王信仰がこの地に入ってくる(8世紀から9世紀にかけて)ずっと以前からあったのではと考えます。

 高賀山自体を神と崇める自然崇拝で、その生贄として「牛」を使っていたとするなら、「牛が一旦この橋を渡ったら最後二度と戻れないぞ」との思いから、「牛戻し橋」と呼ばれるようになったと考えられます。

 中国では、古来より神の怒りを静める方法として、牛を生贄に使ってきました。その風習は、6世紀から7世紀頃には渡来系の人たちによって日本に流入していたはずです。この地に、渡来系の人々による信仰が広まっていたならば牛を生贄として使う風習があってもおかしくないはずです。

 


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