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長泉山 保福寺 (2017-9-3 14:59:56)
div class_='wiki'h3a name='section-1'/a保福寺修繕工事完成/h3
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▲ご本尊は薬師如来 br /
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div class_='wiki' お盆も終わり、最近は朝晩めっきり涼しくなりましたね。br /
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でも、昼間の気温は三十度を遥かに超える日ばかりで、まだまだ残暑厳しい日が続いています。br /
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div class_='wiki' 七月の末日に、私の地元のお寺さんのb 本堂の大改修工事 /bが完了しました。br /
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div class_='wiki' 工事に踏み切った一番の要因は本堂の傾きで、南西方向に傾きが酷くなり、襖が閉まらなくなるほど。br /
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div class_='wiki' 今年の二月に着工され、本堂の傾きの修正と耐震工事、床、天井、壁、ぬれ縁の改修工事と畳の入れ替え等が行われました。br /
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div class_='wiki' 今の建物は、b 安永七年(1778年)火災
/bで灰燼に帰した後に再建されたもので、約230年ほど前のもの、その後、昭和60年代に本堂の屋根、庫裡の改修工事をやってから30年ほど経過しています。br /
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div class_='wiki' 昔の人たちは、お寺やお宮の再建や補修に、相当な金額の寄附をして、現代にまで引き継いできていることに関心してしまいます。br /
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class_='wiki' 現代は、神社仏閣に対する信仰心の薄い人も多く、昔と違い、自分たちの好きなことにはいくらでもお金をつぎ込みますが、いざ寄附となると財布の紐がきつくなる人も多いようですね。br
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■ b 総工費 17,100,000円 /bbr /
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▲工事が開始したころの屋根裏の梁の様子br /
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div class_='wiki' ・縄で太い梁を縛り上げていますが、縄というものは、雨風にさらされない処にあれば、本当に丈夫なものなんですね。br /
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▲床はすべて剥がして、基礎の耐震工事を実施。br /
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class_='wiki' ・江戸時代に建てられたものですので、礎石の上に柱を乗せただけのものでした。それにしても、明治の濃尾大震災にはビクともしなかったようで、よく持ちこたえたものだと、これまた関心してしまいました。br
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div class_='wiki' ・耐震の面では、壁の箇所を増やして、襖の部分やを減らすことも行われたようです。br /
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▲この大提灯は、本堂に吊るされているものですが、寄附した人の名前と住所が書かれてありそれは、br /
「東京市神田区有楽町・・ 明治14年4月・・」とあります。br /
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class_='wiki' 洞戸出身の方が、花の東京へ出て一旗揚げた印に、当寺に寄進されたもののようで、住所の東京市神田区・・・のところなんかに歴史を感じさせますよね!」 br
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当寺の創建は、明徳元(1,390)年、釈能源により開創とされていて歴史の深い寺院です。br /
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div class_='wiki' 現在は、臨済宗妙心寺派の寺院で、臨済宗の中興の祖と仰がれている、b 白隠禅師
/bが雲水の時代に二度も当寺を訪れ、修行をしたと伝えられています。br /
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div class_='wiki' その白隠の法系を継いで、現在の臨済宗の基礎を作ったとも言われるb 隠山 /b筆の額が本堂に掲げてあります。br /
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div class_='wiki' 歴史的な建造物を後世に伝えていくには、地域の人たちの力の結集が必要なんですね。br /
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div class_='wiki' それがまた、地域の人と人の繋がりを創っていくことにもなるのですが。br /
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■場 所:岐阜県関市洞戸菅谷br /
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