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feed 高賀の神々と伝説に秘められた謎 ? (2012-2-17 22:12:07)
div class_='wiki'h3a name='section-1'/a高賀山一帯を支配していた民とは・・/h3 /divbr / div class_='wiki'img src=http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/47/24/go003322/folder/1291522/img_1291522_38732560_0?1329484327 width=560 alt=#x0030a4;#x0030e1;#x0030fc;#x0030b8; 1 class_=popup_img_609_334br / △ 雪の高賀山  br / /divbr / div class_='wiki'h2a name='section-2'/a○鉱物の支配と「山の民」/h2 /divbr / div class_='wiki'div class_='indent' ではなぜ、朝廷が執拗に東国支配にこだわったのかということです。その一番の理由として考えられるのは、鉱物、特に鉄を支配することで国力を強めようとしたと考えられます。br / br / /div  洞戸は、昔から「鉱物の標本地」とまで言われるほど、産出量は少ないものの、銅、マンガン、透輝石、水晶、閃亜鉛鉱、方鉛鉱、黄銅鉱等多くの種類の鉱物が採取されてきました。その中に鉄や金といった鉱物も、古代の高賀の地で産出していたとするならば、朝廷は黙って見過ごすはずもなく、その鉱物の支配をめぐって土着民との争いが起ったと考えるのが自然です。br / /divbr / div class_='wiki'「高賀宮記録」の最初の部分、「霊亀年中より夜な夜な怪しい光が都 の上空を飛び交い、人々を驚かしては、北東の方角へ飛び去って行った。 ・・・」ここから指摘できることは、光るものが鉱物を暗示しているように思えます。また、古代より流れ星(隕石)が落ちた所からは、鉱物が産出されると考えられていたため、高賀宮記録の最初の行から推測できる事柄として、「光る物」・「隕石」・「鉱物」・「修験者」・「虚空蔵菩薩信仰」といったキーワードが思い浮んできます。br / /divbr / br / div class_='wiki'img src=http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/47/24/go003322/folder/1291522/img_1291522_38732560_1?1329484327 alt=#x0030a4;#x0030e1;#x0030fc;#x0030b8; 2 class_=popup_img_480_640 br / △虚空蔵菩薩坐像br / /divbr / br / div class_='wiki' 高賀神社と同じく、虚空蔵菩薩を本尊とするお寺で、金生山明星輪寺 (大垣市赤坂町)があります。この地は、古代より鉄の産地として有名で、その南側には、金山彦命を祀る南宮大社があります。つまり、古代より鉱物(主に鉄・金)を産出する地は、国を治める上で最重要な地として位置づけられ、その場所を確保(守る)ために神社仏閣が建てられ、修験者らがそこを本拠としていたと考えられます。ちなみに、大垣の赤坂町から高賀山を望見することができ、高賀神社の宝物殿には、「延文五年(1360)子庚六月一日 美州不破郡羽根住僧 寿阿敬白」と記銘した錫杖が残されています。「不破郡羽根」とは現在の大垣市赤坂町のことであり、高賀神社と何らかの繋がりがあったことを暗示させます。(洞戸村史上巻より)br / /divbr / br / div class_='wiki'img src=http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/47/24/go003322/folder/1291522/img_1291522_38732560_2?1329484327 alt=#x0030a4;#x0030e1;#x0030fc;#x0030b8; 3 class_=popup_img_350_262 br / △明星輪寺br / /divbr / div class_='wiki' また、美濃市乙狩にある大洞山金谷寺は、その昔高賀の郷にあって、大洪水で堂宇が流されてしまい、後に、高賀の郷より約15キロも下流の地に再建されて現在に至っていると言い伝えられています。金谷寺の山号の言われは、その昔、寺の裏山に金を産出した大きな洞があったことから、大洞山の山号がついたと伝えられています。また、現在でも高賀地区には金谷寺の檀家が何件もあり、高賀の郷と金谷寺との繋がり、そして、金や鉱物と金谷寺との関係も考えられ、高賀山の麓では金をはじめとした鉱物が産出したと考えられる説話が今に伝えられています。br / /divbr / div class_='wiki'img src=http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/47/24/go003322/folder/1291522/img_1291522_38732560_3?1329484327 width=560 alt=#x0030a4;#x0030e1;#x0030fc;#x0030b8; 4 class_=popup_img_640_371 br / △大洞山金谷寺br / /divbr / div class_='wiki' この時代、鉱物を探し出し、それを採掘する技術は大陸からもたらされたものであって、山師、木地師、修験者らがこれらの技術を持っていたとされています。つまりこれらの「山の民」とも言うべき人たちは、渡来系の血を引く者も多いと考えられ、白山信仰の開祖と言われる泰澄大師(たいちょうたいし)も、大陸の泰氏の出身とされています。7世紀後半の朝廷は、鉱物(特に鉄)の支配を目的として、勢力を東国へと延ばして行ったと考えられ、高賀の郷もその標的の一つとされたと考えられます。br / /divbr / br / div class_='wiki'img src=http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/47/24/go003322/folder/1291522/img_1291522_38732560_4?1329484327 alt=#x0030a4;#x0030e1;#x0030fc;#x0030b8; 5 class_=popup_img_450_317br / △高賀宮の配置図br / /divbr / div class_='wiki' 高賀神社の始まりは、八世紀頃の朝廷、藤原氏の東国支配の歴史と深く関わっており、朝廷(藤原氏)対蝦夷の構図がそのまま、高賀の魔物退治伝説となって今に語り継がれているのです。朝廷が高賀山一帯を配下に置こうとした一番の理由は、鉱物(主に鉄)の支配だったのでしょう。そして、この地を支配するために、都から藤原氏の家臣団を送り込んで高賀の郷を平定し、その地を祓い清めるために、白山より大行事神を勧請したと考えられます。br / /divbr / div class_='wiki'div class_='indent' 高賀宮の配置図(江戸時代に書かれたもの)から考察できることは、五つある社の中央にある「大行事神社」こそが、虚空蔵堂(本殿)、八幡社(若宮)の並祭社殿より重要な位置を占めていることが理解できると思います。br / br / br / div class_='quote'※注br / 蝦夷: 東国の民、縄文人全般の公称。蔑視、野蛮の意味が込められている。その昔、三関(鈴鹿の関、不br / 破の関、愛発(あらち)の関)より東を東国、蝦夷地といい、大和政権の及ばぬ未開の地であった。br / /div /div /div


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