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feed 陽澤山林廣院と藤原高房 (2011-9-16 0:40:55)

林廣院・・魔物退治伝説と藤原高房


曹洞宗陽澤山林廣院は、高賀山の東側にある星宮神社の集落の入り口、長良川を挟んで対岸の山の中腹にあります。

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その山頂には、江戸時代初期に遠藤氏が築いた林廣院城(鶴尾城)があって、今は城跡の一部が残るだけだとか。



この林廣院には、高賀山の魔物退治をしたとされる「藤原高房」の位牌があると言われていて、この日、

是非その位牌にお目にかかれないかと期待をしながら、境内に入らせてもらいました。


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残念ながら、住職にお逢いできず、立派な本堂と庭を眺めて帰ってきました。



 藤原 高房(ふじわら の たかふさ、延暦14年(795年) - 仁寿2年(852年)
平安時代初期の貴族。藤原藤嗣の三男。

■ 経 歴 

 身長が6尺(約180cm)という長身で、人並み外れた腕力の持ち主とか。

 逸話には、美濃介に任ぜられ現地に赴任した際の治績として、次の話が伝わっている。

・安八郡では、治水工事で名を馳せ、土地の民からの人望が篤かった。

・席田郡では、妖しい巫女が居て人心を惑わせていたが、官人は恐れてその土地に入ることができなかった。そこへ高房は単騎で乗り込み、巫女の一味を捕らえ厳しく罰し、人心を安定させたとの逸話が残されている。


○高賀山に伝わる「魔物退治伝説」のヒーロー「藤原高光」は、実のところこの藤原高房をモデルに作られたと思われるふしがあるのです。

遠藤氏の後にこの土地に入った粥川氏は、祖先が、高賀山の魔物退治をした藤原高房だとして位牌をつくり、この林廣院でお祀りしてきたのだとも言われてる。


高房の偉業は、当時の美濃国ではもちろんのこと、都でもその名を轟かせていたというからなかなかの有名人だったのでしょう。

後に高賀の魔物退治伝説のヒーローを、藤原高房の偉業にあやかって、伝説が作られたとされる中世で、同じ藤原家の歌人として有名であった、藤原高光の名を借りて創作されたのではと推察されます。

なぜ武人ではなく、歌人を? と思われるのでしょうが、平安期の政治、まつりごとの主は、「歌」を
いかに上手く歌うかで、その人の力が評価さるという、現代では考えられないような一面がありましたから。

「歌」で国を治めるとは、何とも優雅で平安貴族らしきところがあって、日本独自の国風文化が華開いた
わけですね。

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場 所 : 岐阜県郡上市美並町


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