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高賀山の岩屋 (2011-5-28 19:15:43)
ちょと前になりますが、高賀の地元の人たちと高賀山の登山道の途中にある「岩屋」まで行ってきました。
この岩屋、二層になっていて、十数名が楽に休めるスペースがあります。戦後しばらくは、炭焼きの人たちが寝起きをしたとも言われています。
△ 横から見た岩屋、長い年月で随分土に埋もれているようにも見えます。周りの土を取ってみるともっと違った形ちの物になるかも・・
△ 一階部分
△ 二階部分
その昔、高賀山信仰が盛んな時代、特に虚空蔵菩薩信仰のメッカとして多くの修験者が修行に訪れた時には、この岩屋の奥に不動明王がお祀りしてありました。
現在は、高賀山の麓にある高賀神社の宝物殿に納められています。
下呂市金山の山中には、縄文時代の天文観測に使われていたと言われている巨石群があります。
以前、それを研究している方を訪ねて下呂の金山まで行ったことがあります。そこで聞いた話では、高賀の通称「岩屋」と言われる巨石は、もしかしたら縄文人が暦を観測する場所として使っていた可能性もあるとのことでした。
岩の亀裂が東西に走っているため、春分、秋分にはその亀裂から太陽が昇る時に光りが差し込むのではという説明でした。
△ この亀裂には伝説もあるのですよ。
「八百比丘尼伝説」なのですが、何でも、高賀の山中に住む八百比丘尼が、フンドシをこの岩の上て干したら、岩が二つに割れてしまったとか?!
ただそれだけの話なんですが、「八百比丘尼伝説」発祥の地は福井の若狭地方、洞戸・板取と北陸の地は昔から往来があったので、こういった伝説も入って来たのでしょうね。
「八百比丘尼伝」はもともと山の神、あるいは「山姥」とも言われていますから、高賀の魔物退治伝説とも何かつながりがあるのかも知れません。
△岩屋へ行く途中見つけた杉、根元の岩をしっかり抱きかかえて生えていました。
高賀山の登山道はこういった形をした巨石がゴロゴロしていて、ちょっと視点を変えて回りを見ながら登山をしていると、なかなか面白く登ることができました。
修験者が修行の途中沐浴をしたと言われている「垢とり場」。
円空聖人も、ここを使ったと言われているのですよ。
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