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高賀魔物退治ゆかりの矢作神社 (2011-1-16 15:05:38)
寒い日が続いています。天気予報では土曜から日曜日にかけて日本か側を中心に大雪との予報でしたが、ここ洞戸地区は、例年ですと、一月に50〜60センチの積雪は普通なのですが、今年は積雪が少なく、ありがたい年となっています。
年末年始も、雪がちらついた程度で良いお正月でした。
年末年始も、雪がちらついた程度で良いお正月でした。
◇ 縁 起
この矢作神社は、天暦元(947)年高賀大本宮諸社と同時に創建され、山崎白羽之神社、高賀山矢作大明神と称していましたが、後に、応安二(1369)年大洪水により流失し以来再建されずにそのままとなっていました。
永享七(1435)年、高賀の若宮の神主山崎権之太夫が初夢で、白羽之神社を再建すべしとのお告げを聞き、菅原谷の地に七月に遷宮。
創健者である山崎氏の出は菅原氏であることから、菅原道真を勧請し、菅原谷の地名では恐れおおいと地名を菅谷に改めたと言われていて、「菅谷」の地名の由来となっています。
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この矢作神社は、天暦元(947)年高賀大本宮諸社と同時に創建され、山崎白羽之神社、高賀山矢作大明神と称していましたが、後に、応安二(1369)年大洪水により流失し以来再建されずにそのままとなっていました。
永享七(1435)年、高賀の若宮の神主山崎権之太夫が初夢で、白羽之神社を再建すべしとのお告げを聞き、菅原谷の地に七月に遷宮。
創健者である山崎氏の出は菅原氏であることから、菅原道真を勧請し、菅原谷の地名では恐れおおいと地名を菅谷に改めたと言われていて、「菅谷」の地名の由来となっています。
矢作神社は、名前のとおり弓矢にまつわる神社で、「高賀宮記録」の中では、「砥河原の辺りに白い鳥の羽根と箭があり、そこで矢を作って高光公に献上せよと、その場所に社を建て高光公持参の矢をご神体として級長戸辺尊、級長津彦尊、八幡大神をご本神として天暦元年九月十日に遷宮。」と記してあります。
高賀神社に伝わる魔物退治伝説では、矢作神社で造った「矢」で、藤原高光がみごと魔物を射止めた話になっています。
菅谷地区には昔から「砥石山」と言われる山があり、今でも良質の砥石を採取することができます。当時から、矢を研ぐのに適した砥石があったことを物語っています。
▲額の左下に「たまゆら」が写っています。
▲社務所横の蔵には社紋の「並び矢」が記されています。
また、当神社には、『大明神庄壇造立永享七年九月十日』の棟札(洞戸地区の神社で現存する最古の棟札)が保管されており、それには、「大旦那山崎守儀□」と記されていて、これは「高賀宮記録」にある、矢作神社を再建した「山崎権之太夫」のこととされています。
▲本殿横にある石塔。一番左は、「金毘羅大権現」と刻まれていました。
▲本殿の両脇にある丸石。一説には、社殿が出来る以前からご神体として崇められてきた石とも言われています。
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