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もみじ谷 大矢田神社 (2010-11-20 19:13:19)
紅葉真っ盛り、美濃市にある大矢田神社に行ってきました。
ここのもみじ谷の紅葉は有名で、秋の行楽の時期には、多くの紅葉狩りを楽しむ人たちでにぎわっています。
ご祭神:建速須佐之男命、天若日子命
創建:一説によると、孝霊天皇の時代といいますから、(孝霊天皇の在位:紀元前290年 - 紀元前215年)気の遠くなるような古さです。
大矢田神社の縁起の概略は、
深山に悪竜が棲み付き、困った里人が喪山の喪山の天神社に加護を祈ったところ、建速須佐之男命を祀るよう夢告があった。 その通り勧請を行うと、建速須佐之男命が現れ、悪竜を退治してくれた。平和を取り戻した里人は、建速須佐之男命と天若日子命を祀る祠を建てたとされています。
深山に悪竜が棲み付き、困った里人が喪山の喪山の天神社に加護を祈ったところ、建速須佐之男命を祀るよう夢告があった。 その通り勧請を行うと、建速須佐之男命が現れ、悪竜を退治してくれた。平和を取り戻した里人は、建速須佐之男命と天若日子命を祀る祠を建てたとされています。
その後、時代は下って、716年(養老2年)、泰澄大師は、この地(天王山)一帯をを天王山禅定寺とし、祠はその一部となって、牛頭天王信仰として習合されることとなりました。
明治3年、神仏分離・廃仏毀釈により牛頭天王を建速須佐之男命に戻して祀り、大矢田神社に改称して現在に至っています。
護摩堂・鐘楼・観音堂など仏教施設は廃されたが、唯一、楼門(仁王門)が残されました。
白山信仰の麓、美濃地域は8世紀の藤原氏の時代にはいると、主な多くの神社はすべて泰澄大師が係り、現在の神社としての体裁を整えたとする縁起が残されています。
石徹白神社、長滝寺、洲原神社、高賀神社等々・・
古事記、日本書記を編纂したこの時代、藤原氏の信仰対する意向が強く繁栄されていると思われます。
ここで、お勧めの食べ物があります。・・・画像を撮り忘れてしまって後悔してるのですが、
それは「五平餅」。 かたちがちょっと違い、丸い大き目の団子状のものが串に三つ付いていて、
確か柚子の香りのきいた味噌たれがとても美味しかったですよ。
それは「五平餅」。 かたちがちょっと違い、丸い大き目の団子状のものが串に三つ付いていて、
確か柚子の香りのきいた味噌たれがとても美味しかったですよ。
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