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梅泉寺跡と石仏 その1 (2010-4-29 23:15:53)
梅泉寺跡にある観音堂の裏山の中腹に、 「最勝王経塔」 があります。
形からすると「宝きょう印塔」に見えるのですが、「最勝王経塔」としっかり刻まれているので間違いないでしょう。
形からすると「宝きょう印塔」に見えるのですが、「最勝王経塔」としっかり刻まれているので間違いないでしょう。
この塔は、当時梅泉寺の住職であった瑞岩祖陽(ずいがんそよう)が天保九年に建立したもの。
天保九年と言えば、天保の大飢饉があった頃。 洞戸地域も天候不良による食料不作で、飢餓に苦しむ人々が多く居たようで、衆生の救済を祈り、世の中の安泰を願って建立したものではと思われます。
塔の中央にある石柱には、四面にびっしりと文字が刻まれていますが、漢文なのではっきりと意味が読み取れません。・・・勉強不足です。
◇最勝王経とは
正式には『金光明最勝王経』と言って、四天王による国家鎮護の教説を含んだ経典で、10巻から出来ています。 奈良時代、聖武天皇が全国に国分寺、国分尼寺を建立してこの経典を納め国家鎮護を祈ったとされています。
◇梅泉寺と 隠山 : 以前ブログで紹介しています ・・(
http://blogs.yahoo.co.jp/go003322/29631532.html)
この寺で、中世臨済禅の名僧と言われる 隠山惟琰 (いんざんいえん1751年〜1811年) が、梅泉寺二世として住職を務めています。 のちに岐阜市の瑞龍寺をはじめ多くの寺院を再興、さらに文化五年(1808)には 光格天皇より紫衣を拝領し、翌年文化六年、京都妙心寺開山の関山和尚 四百五十年法要の導師を務めた。64才で示寂。この時、光格天皇より「正灯円照禅師」の勅諡号を賜る。
◇梅泉寺本堂の跡地には、観音堂と、石仏、そしてこの寺を建立した武藤家の墓石が整然と並んでいます。
梅泉寺跡地:岐阜県関市洞戸通元寺地内
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