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武芸八幡宮 (2010-2-13 15:58:24)
参道入口には、福寿寺や社務所、神社会館、御旅所があり、ここから社殿までは約650mもあります。
鳥居から300m程先に昔は「下馬」、現在は「車止め」のある分岐点があり、ここでは織田信長建立の「下馬標」や、八幡谷川に架かる趣ある石の「太鼓橋」(元禄元年・1694)が見られます。
一の鳥居はここより南約1km程先の街中に建っていることから、参道がかなり長く、県内でも有数の参道の長い神社ではないでしょうか。
車止めの後方には簡潔な造りの随神門が建ち、そこから又参道が300m程続くのですが、その間には境内社や推定樹齢1000年(岐阜県指定天然記念物)を越える大杉を始め杉や檜の並木が見られます。
境内中央には重厚で開放的な拝殿が建ち、その奥に流造の本殿が建っています。
ここ武芸の地は、信長が築城した岐阜城の鬼門(丑寅)の方角に当たるとかで、鬼門封じのために、
信長によって手厚く保護されたとも言われています。
信長によって手厚く保護されたとも言われています。
信長の後、信忠、信孝と織田家三代にわたって、「安堵状」がこの八幡社に納められていて、織田家がいかにこの地を重要視していたかが覗えます。
また、の信長の小姓であった森蘭丸の父、森可成の書状も保管されていて、武勇の神である八幡神への信仰の篤さが感じられます。
信長というと比叡山焼き討ちに見られるように、神社仏閣などへの信仰心は皆無な人かと思っていたので、ちょっと驚きといった感じです。。
本殿右側には境内社が建ち並び、梵鐘の無い鐘楼も建っていました。この鐘楼は旧武芸川町では最古の木造建築物(永和四年・1378)だそうです。
広大な境内には、神宮寺であった「大聖寺跡」の石碑があり、
神仏習合の形が、ここでも伺い知ることができます。
神仏習合の形が、ここでも伺い知ることができます。
御祭神:応神天皇
例祭日:4月中旬の日曜日(花馬まつり)
境内社:琴平社等
由緒:養老元年(717)創建と伝えられている由緒ある古社です。
場所:岐阜県関市武芸川町八幡
例祭日:4月中旬の日曜日(花馬まつり)
境内社:琴平社等
由緒:養老元年(717)創建と伝えられている由緒ある古社です。
場所:岐阜県関市武芸川町八幡
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