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feed 午頭天王信仰と牛戻し橋 (2010-1-23 23:07:26)

高賀神々は牛が嫌い?・・・


イメージ 1
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高賀の郷は、高賀の宮として、古くから多くの神々をお祀りして、沢山の参拝者を迎え入れて来た所、 また、ここには、妖魔退治の伝説があり、その伝説と係りのある場所として、 「牛戻し橋」 があります。

牛戻し橋について今に語り継がれている内容は、 「牛をこの橋より中に入れてはならない。 だから、牛戻し橋というのだ。」、なぜかと言うと「高賀の神々が牛を嫌ったため」 というものです。
なぜ、高賀の神々は牛が嫌いなのか・・・謎です。


事実、高賀地区においては、牛を飼ったことは無いと言われています。
ただし、戦後一時期、一人の男が高賀で牛の飼育を始めたことがあったそうですが、僅かの期間で失敗して、それ以後全く牛を入れていないと聞いています。

ちなみに、その時も高賀の神々の怒りをかったがため、「牛がすべて死んでしまった」との噂もあったようです。



高賀神社を参拝する時、大きな社殿の横に小さな祠がありのす。
それが 牛頭天王 をお祀りした社なのです。
           
高賀の郷にいつ頃、牛頭天王信仰が入って来たか定かではありませんが、大行事神社の勧請先が白山 であると考えられることから、午頭天王信仰も同じように 白山信仰 との関わりがあるように思われます。


「牛頭天王信仰」と「牛戻し橋」について



◇高賀神社に祀られている「牛頭天王」と、高賀地区の入り口に架かる「牛戻し橋」についてまとめた事を書いてみます。

午頭天王信仰とは・・・


大陸の「漢神信仰」から来たもので、怖い祟り神、疫病をもたらす神と考えられていたため、牛頭天王を祀り込めることで、疫病の蔓延を防げられると信じられてきた。

『続日本紀』には、「牛を殺して漢神を祭る」とあり、その信仰的系譜に、朝鮮半島からの渡来人がもたらしたものと考えられている。
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ここで、白山を開山した 泰澄 (たいちょう)について触れてみます。
白山開山の祖である泰澄は 秦氏 の出身とされている。

秦氏は、中国の史書『魏志韓伝』によると、大陸から半島へ移住して来たという秦人のことで、
その秦人が半島を経てさらに日本に渡り、「秦氏」になったとすれば、 「漢神信仰」 と同時に彼らを通して古代朝鮮の山岳信仰が持ち込まれたものと思われる。

殺牛祭とは・・・

牛を生け贄として神に捧げ、雨乞いや五穀豊穣を祈ったもの。
白山を抱く越の地(北陸から新潟にかけての地域)に、古代の朝鮮半島の信仰の残照である殺牛祭が各所にあったとされている。  
   
・・越前国に対しては朝廷より、延暦十年(791)と延暦二十年(801)の二回、殺牛祭の禁令が出されている。
つまりそれだけ“抵抗”が強かった為に、二回も禁令を出さなければならなかったと思っていいのではないか。
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ちなみに、泰澄が白山を開山したのは養老元年(717) とされるので、殺牛祭禁令が出される半世紀以上
も前のことである。(養老元年(717)は、高賀神社が創建された年と全く同じ年代です。)

泰澄、殺牛祭と白山信仰を通して、日本史上最大の渡来集団であるこの氏族「秦氏」の姿が見えることは
大変興味深いことです。

そして、それが、高賀山信仰にも深く関与しているとなると、高賀の宮に古くから鎮座する「午頭天王社」は、大行事神社を勧請したと同時に、祀られたと考えられるが、あるいは、この場合「漢神」=「午頭天王」とするならば、大行事神社を勧請する以前から、高賀の地で祭られていたとも考えられます。

つまり、古代高賀の郷は、大陸系の渡来人(「秦氏」系の氏族)が支配する地であり、「漢神信仰」を
中心として、牛を生け贄とする殺牛祭を行っていたという説も成り立ちます。


ここで、「牛戻し橋」伝説をもう一度考察してみると、現在語り継がれている内容は、「牛をこの橋より中(高賀の郷)に入れてはならない。 だから、牛戻し橋というのだ。」、「高賀の神々が牛を嫌ったため」 というものであるが、実はそうではなく、 「牛をこの橋より中に入れると、生け贄にされて戻ってこれなくなるため、ここより牛を入れるなよ。」 という意味にとる方が自然ではないだろうか。

伝説については、いろんな角度から考察すると、また新たな考え方も出てきて大変興味深くなるものだと思いますが、高賀の牛頭天王信仰ついては、随分歴史が古いと考えられ、只単に、高賀神社本社の摂社や末社でないことだけは確かなような気がします。


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