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汾陽寺 (2009-12-13 19:38:08)
乾徳山・汾陽寺 は、臨済宗妙心寺派の寺で、徳川三代将軍家光の乳母として名高い 春日局 ゆかりの寺とのこと。
標高が500mほどの汾陽寺山麓にあり、静かな雰囲気で、途中から道路の舗装が無くなり、土道を100mほど登ると苔むした石垣が目の前に現れてきます。
標高が500mほどの汾陽寺山麓にあり、静かな雰囲気で、途中から道路の舗装が無くなり、土道を100mほど登ると苔むした石垣が目の前に現れてきます。
訪れた時は、紅葉の季節も終ったあとでちょっと残念でしたが、苔むした石垣や石段が、静に出迎えてくれたような気がしました。
創建は嘉吉元年(一四四一)斎藤越前守利永が開き、雲谷和尚を開山とし、その後、この寺を中興したのは、斎藤新四郎利国で延徳二年(一四九○)と言われています。
利永・利国は、美濃を支配した武将で、春日局の父斎藤内蔵助利三は、その縁続きに当たります。
局が谷口の里に住んでいた頃、遠祖の創建したこの寺へたびたび参拝に訪れたといわれていて、苔むした石畳の参道 「お局道」 が今も面影を偲ばせています。
ここには 県指定重要文化財涅槃図、斉藤道山の書簡 等数多くの寺宝があると聞いていますが、拝観することはできませんでした。
最後の写真は、本堂横のお堂の屋根の鬼瓦ではなく 「天狗瓦」 です。
場所:岐阜県関市武芸川町谷口
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