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feed 日龍峰寺・・・(高沢観音) (2009-12-9 22:24:45)

日龍峰寺・・美濃の清水


地元の人から、「高澤観音」と親しみを込めて呼ばれている大日山日龍峰寺は、「両面宿難」伝説
の残る歴史を秘めた古刹です。


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◆ 山門の天上絵。 色が剥落してはいますが、元は随分きらびやかな絵が掲げられていたようです。
 
 門の両脇には仁王様が立っていましたが、頭がちょっと大きめの愛嬌のある仁王像でした。



多宝塔(国指定重要文化財)


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境内には鎌倉時代、時の尼将軍・北条政子によって建立されたという多宝塔が残されており、国の重要文化財にも指定されています。 


大日山日龍峰寺本堂(本尊:千手観音菩薩)



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◆本堂の天上絵

本堂は入母屋造り桧皮葺で、山頂傾斜地の岩上に建立。 前方は舞台造りで京都の清水寺によく似ていて、 「美濃の清水」 の異名で知られています。


でも、よくこんな山間地に、これだけの物が建立できたと関心してしまいます。
境内は思っていたより広く、写真には納めなかった、金毘羅神社や、鐘楼、薬師堂など多くの建物が
建ち並び、観音信仰の一大聖地として栄えていたことを物語っています。


鎌倉尼将軍寄進の本堂は惜くも応仁文明の乱により戦火の犠牲となり現在の本堂は寛文十年(江戸時代)の建造物です。(県指定・市指定文化財)




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◆みたらしの霊水と宝筐印塔

この柵の奥に、 源頼朝の分骨 を納めたと言い伝えられている 「宝筐印塔」 がお祀りしてありました。ここ、高沢観音は源氏の所縁の地なのですね。


千本桧(天然記念物)


日龍峰寺本堂前の広場中央にこの千本桧はあり、樹高はおよそ20メートル、根元の回りは3メートルを超える巨木で、根元より無数に分かれた枝葉はまさに千本桧の名にふさわしく、霊木としての景観そのものです。(市指定天然記念物)



両面宿儺伝説


寺伝によると、5世紀前半、美濃国に日本書紀にも登場する両面宿儺(りょうめんすくな)という豪族がいた。両面宿儺はこの地方に被害を及ぼしていた龍神を退治し、龍神の住んでいたこの山に祠を建立したのが始まりと伝わっています。また、鎌倉時代、 北条政子 によって再興されたと伝えられていて、その後、応仁の乱によって多宝塔を残し堂宇の大半を焼失したが、江戸時代になって現在の伽藍が整えられたと言われています。

 
  両面宿儺

『日本書紀』では朝敵として悪者扱いを受けているが、飛騨国、美濃国では英雄として信仰の対象となっている。
高山市丹生川町の千光寺は、両面宿儺を開基としていて、両面宿儺は飛騨国に仏教を伝えたとされています。
飛騨国、美濃国の多くの古寺でも両面宿儺を信仰の対象としているようで、日本書紀とはまるで反対す。

いつの世も、歴史書を書く側に立った立場でものを書き記すため、善悪がまるで逆になるのは当然なのでしょうね。


七世紀ごろの日本は、朝廷からすれば、不破の関を境に、東国である美濃や飛騨は蝦夷地と見られていたらしく、中央に従わない一大勢力があったのでしょう。 この両面宿儺もそうですが、高賀山信仰にまつわる魔物退治伝説もこれまたしかりなのでしょうね。


場 所:岐阜県関市下之保4585


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