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興 徳 寺 (2008-1-17 23:42:53)
▲興徳寺からの見下す洞戸の景色
万治三(1660)年に大仙庵と言われていた堂庵を、太源祖徹(たいげんそてつ)が開山となり、岐阜市鏡島の瑞甲山乙津寺 第八世蘭友祖善(らんゆうそぜん)を勧請開山として 大仙山 興徳寺を創建した。
▲ 海衆塔
当寺は修行寺であり、多くの檀家を持たず、雲水の厳しい修行の場としての寺でした。
また、境内には''' 「海衆塔」 '''(かいしゅうとう)が建立されています。
これは、多くの若くして没した修行僧の霊を慰める塔なのだそうです。
また、境内には''' 「海衆塔」 '''(かいしゅうとう)が建立されています。
これは、多くの若くして没した修行僧の霊を慰める塔なのだそうです。
住職から、随分多くの雛僧(修行僧)がこの寺で亡くなっているお話を聞きました。
特に冬の厳しい寒さと、貧しい食事に耐え切れずに若くして亡くなった話を聞くと、
飽食の中で贅沢をしている現代人は、これでいいのかと考えさせられました・・・合掌。
特に冬の厳しい寒さと、貧しい食事に耐え切れずに若くして亡くなった話を聞くと、
飽食の中で贅沢をしている現代人は、これでいいのかと考えさせられました・・・合掌。
興徳寺 第五世 曇霊宗珪(どんれいそうけい)十七歳の時、興徳寺第四世 東岳により出家。''' 古月禅材 '''に九州日向国(宮崎県佐土原町)で学びその印証を得た。後に興徳寺五世として享保六(1721)年住持となる。
曇霊は、全国に名の知れた''' 古月 '''の法系を継ぎ、その法系は後の興徳寺 第六世 老山弁愚(ろんざんべんぐ)そして'''
隠山 '''へと受け継がれています。
ここで注目すべきことは、臨済禅の中興の祖と言われる''' 白隠(はくいん) '''の禅が興徳寺で修行した隠山に受け継がれており、当時の東西両雄の法系がここ洞戸の興徳寺で合流していることになります。
ここで注目すべきことは、臨済禅の中興の祖と言われる''' 白隠(はくいん) '''の禅が興徳寺で修行した隠山に受け継がれており、当時の東西両雄の法系がここ洞戸の興徳寺で合流していることになります。
古月禅材(こげつぜんざい):''' 「西に古月、東に白隠」 '''と言われたほど有名な禅僧。
''' 興徳寺のお宝 '''
興徳寺には、古月が曇霊に宛てた板額''' 「般若窟」 '''(はんにゃくつ)、老山に宛てた''' 「讖桂庵」 '''(せんけいあん)が保管されています。
また、当寺の''' 「涅槃図」 '''は随分立派なもので、以前、住職に特別に拝見させていただいた画像をアップしてみます・・・軸が大きいため、上手く撮ることが出来ませんでした。
''' 興徳寺のお宝 '''
興徳寺には、古月が曇霊に宛てた板額''' 「般若窟」 '''(はんにゃくつ)、老山に宛てた''' 「讖桂庵」 '''(せんけいあん)が保管されています。
また、当寺の''' 「涅槃図」 '''は随分立派なもので、以前、住職に特別に拝見させていただいた画像をアップしてみます・・・軸が大きいため、上手く撮ることが出来ませんでした。
▲古月筆「般若窟」 ▲古月筆「讖桂庵」
▲「涅槃図」
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