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あやめ坂の石仏群と思案権現 (2009-11-3 17:55:56)
洞戸上菅谷地区の通称''' 「あやめ坂」 '''入り口にある石仏群です。
あやめ坂の名前の由来ははっきりしませんが、ここから旧美山町船越へ通じる昔からの山道です。
あやめ坂の名前の由来ははっきりしませんが、ここから旧美山町船越へ通じる昔からの山道です。
洞戸にはこういった、歩いて峠越えができる坂道がいくつもありました。''' 「亀坂」、「イバラ坂」、「崩坂」、「阿部坂」
'''・・・名前からどんな坂か想像するのも面白いですね。
ここの石仏は三十三観音をはじめ、''' 庚申塔、廻国供養塔 '''などいろんな石仏が並んでいます。
刻銘のわかるものでは、''' 「天保十年」 '''の聖観音があります。
もともと三十三観音は九頭師坂にあったと言われていて、いつ頃ここに移されたかは解っていません。
もともと三十三観音は九頭師坂にあったと言われていて、いつ頃ここに移されたかは解っていません。
すぐそばには十一面観音をお祀りする''' 観音堂(元文元年、1736年) '''もあります。
何やら聞きなれない名前の石碑ですが、これは、''' 高賀山の魔物退治伝説
'''にまつわるもので、何でも、高賀の魔物退治に都から来た''' 藤原高光公
'''の一行が最初に洞戸の地に入って、高賀山を見た場所で、ここで魔物退治の作戦を''' 「思案」
'''したことから「思案権現」が建てられていると言う事です。
そして、ここで矢柄を採って矢を作り、高賀山へ向ったとの伝説が残されています。
確かにこの近くには、高光公が矢を作って奉納したとされる''' 「矢作神社」、「上矢作神社」 '''もあります。
確かにこの近くには、高光公が矢を作って奉納したとされる''' 「矢作神社」、「上矢作神社」 '''もあります。
また、菅谷には矢じりや鉄をとぐ良質の''' 「砥石」 '''を産出する砥石山もあり、武器を調える場所
としては打って付けだったのではないでしょうか。
としては打って付けだったのではないでしょうか。
'''思案権現 '''から眺める「高賀山」(1,224m)。
紅葉はまだちょっと早いようです。
''' 場所: 岐阜県関市洞戸菅谷 (上菅谷地区) '''
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