RSSセンター
メイン | 簡易ヘッドライン |
須原神社と薬師堂 (2008-1-14 22:13:52)
国道256号沿いに板取方面へ上って行くと、洞戸阿部地内国道左手に真新しい鳥居が見えてきます。
須原神社は、もともとこの地にあったようではなく、ここにはもともと薬師堂があって、そこへ、当社を移転したように聞いています。
祭神は、イザナギノミコト、イザナミノミコト、大己貴命。
境内社に山神神社があります。
境内社に山神神社があります。
同じ境内に、小さいながら、神社と薬師如来を祀ったまさに神仏習合の形がそのまま残っています。
洞戸地区は近世に薬師信仰が盛んだったようで、ここ阿部意外にも、二箇所薬師堂があります。
これら薬師堂は、いずれも当初個人の信奉者が私財で建立しているようで、ここの薬師堂は、豊臣秀頼の家臣木村長門守重成の末裔 木村喜左衛門が正徳三年(1713)にこの地に住み着き、代々当家の念持仏としてお祀りしてきたものを、訳あって、敷地ごと阿部地区に寄進し、以来、阿部の守り本尊とし須原神社とともに崇拝されているようです。
ここの薬師如来像は像高が90センチもあるりっぱなもので、「カヤの木」で造られているため、この地区では、カヤの木を切ったり、薪にすることはしないのだそうです。
洞戸の地は、落ち武者の話が多く残っていて、大桑城の土岐家の家臣原氏や武藤氏、鵜沼城の家臣大澤氏など、戦に負けた武士たちが美濃の山奥へ逃げ、ここ洞戸へ居ついた話は今でも残っています。
execution time : 0.096 sec