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feed 高賀山頂の経塔にまつわる伝説 (2009-3-23 22:44:03)

金光明最勝王経塔



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高賀山頂には、高さ60センチほどの石碑(経塔)が建てられています。

この石碑には次のような伝説が残されています。

むかし、洞戸の某豪商の主が、伊勢参りに行き、船で海を渡る時、突然船のまわりに鮫の大群が現れ、不気味な白い腹を見せて飛び上がり、今にも船を転覆させんとばかり暴れ回ったそうな。
「鮫は鮫肌の人を欲しがっている、このままでは皆が死ぬだけです。誰か、鮫肌の人はござらぬか。」
と船頭が言ったが誰一人名のるものは居なかった。

「それでは仕方が無い、誰が欲しいか鮫に聞いて、その人に生け贄になってもらわなければならない。」と言った。
そこで船客は、各々の手拭を海に投げ込んだ。  すると群れの中から一際大きな鮫が現れ、ひとすじの手拭を引き込んだ、その手拭の持ち主が某豪商であったそうな。

「皆の衆申し訳ない、私が鮫肌なのを隠していたが、こうなっては仕方がない。私が生け贄になるので、皆さん無事に伊勢参りをしてくだされ。そして、帰りに我が家へせめても伊勢のお札さまを届けておくれ。」といい残すと、海へ飛び込み鮫の大群の中へ消えていったそうな。・・・

この人のおかげで無事伊勢参りを済ませた人々は、その霊を慰めるため、遠く伊勢の海が望めるここ高賀山頂に経塔を建立して菩提を弔ったと言われています。  (洞戸村の石仏より)

''' 経塔の正面の刻銘 '''
金光明最勝王経

''' 〃 左右の刻銘 '''
一天下泰平四海安穏
  文殊菩薩・地蔵菩薩・妙見菩薩・虚空蔵菩薩  

''' 〃  後の刻銘 ''' 
天保十二年八月

ちなみに、天保年間は、お伊勢参りが全国的に盛んになってきた頃で、伝説の時期と一致します。
 

『金光明最勝王経』は、四天王による国家鎮護の教説を含んだ経典で、10巻から出来ています。
天平13年(741)2月14日、聖武天皇は詔をくだし、国ごとに国分寺と国分尼寺を建立することを命じました。
そしてこの時、国分寺の塔に金字の『金光明最勝王経』を安置することも定められたとされています。
ちなみに、国分寺は正しくは「金光明四天王護国之寺」といい『金光明最勝王経』信仰に基づき、四天王による国家鎮護を期待する国立寺院でした。
 

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天気の良い日には、この山頂(1,224m)から名古屋の駅ビルや伊勢湾が望める時もありますよ。





 


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