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金毘羅神社 (2009-1-24 18:31:18)
金毘羅神社というと、 元は四国香川県の象頭山の神を祀るもので、古くから象頭山は瀬戸内海の航行の目印とされてきたことから、象頭山の神は航海安全の神として信仰されるようになったと言われています。
中世に神仏習合が盛んになると、仏教の守護神である十二神将の一柱である宮比羅大将(クンピーラ神、金毘羅)と同一視されるようになった。これは、元となったクンピーラ神が鰐の神であり、これが日本では龍神と考えられたためで、そのため、航海安全だけでなく、祈雨の神として農民からも信仰されるようになりました。
江戸時代に船による流通が盛んになると、海運業者や商人によって金毘羅信仰が日本中に広められ、分社が各地に作られたようです。
では、なぜこの山間地の洞戸に金毘羅神社があるかと言うと、この神社はもともと瑞宝山 梅泉寺の鎮守として江戸時代の洞戸の豪商 武藤嘉ヱ衛門によって建立されたものなのです。
(梅泉寺は武藤家の菩提寺で、臨済禅の中興の祖とも言われる「隠山和尚」が最初に住職を務めたお寺です。)
当時、武藤嘉ヱ衛門は、洞戸、板取、牧谷、柿野地域の主な生活物資の流通を一手に掌握していて、板取川を、筏を使って木材や炭、穀物、紙、酒等を運搬し、洞戸の市場を中心とした経済圏で財を成し遂げた商人なのです。
嘉ヱ衛門は、商売が上手く行くよう、板取川を望む高台に金毘羅神社を勧請して、荷を積んで航行する筏の安全を祈ったとされています。
嘉ヱ衛門は、商売が上手く行くよう、板取川を望む高台に金毘羅神社を勧請して、荷を積んで航行する筏の安全を祈ったとされています。
一人の商人が、寺院や神社まで建立してしまうなんて、今の時代ではとても考えられないですよね。
''' ◇金毘羅神社の本殿の隣りには、観音堂もあり、三十三観音がお祀りしてあります。 '''
金毘羅さんは、小高い山の山頂に鎮座していて、大正時代に出版された「洞戸村史」では洞戸の絶景地として紹介してあるのですが、それから90年ほど経った今では、周囲が杉林となってしまって、肝心の板取川の景色を見ることが出来ません。・・・とても残念です。
また、当時は筏が行き来できるほど川の水量が多かったようですが、現在は、板取川上流に中電の洞戸ダムがあるため、水量も少なく、板取川の状況も変わってしまっています。
毎年、五月のゴールデンウィークの時には金毘羅さんのお祭りがあって、この時「餅まき」があります。
この日ばかりは、たくさんの人で賑わうようです。
この日ばかりは、たくさんの人で賑わうようです。
''' 場 所:岐阜県関市洞戸通元寺地内 '''
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