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三千淵 (2007-12-27 19:08:28)
その昔、高賀の郷には、高賀大本宮をはじめとし、大伽藍を配した蓮華峰寺や大小のお堂48ヵ寺があって、そこには数千人の坊さんたちが居たと言われています。
仏教を排除しようとした織田信長は、比叡山の延暦寺や石山本願寺の焼き討ちを行い、徹底的に寺院潰しを行いました。
高賀の郷も例外ではなく、信長軍に攻められ、高賀の入り口(木作)で三千人の坊さんたちは皆殺しとなり、板取川の淵に沈められ、川面は真っ赤に染まったと言われています。
この時、高賀にあった主な寺院やお堂はことごとく焼かれ、わずかに神社と観音堂が残ったとされています。【この記録は高賀神社所有の「高賀宮記録」(文化九年記録)に記載してあります。】
仏教を排除しようとした織田信長は、比叡山の延暦寺や石山本願寺の焼き討ちを行い、徹底的に寺院潰しを行いました。
高賀の郷も例外ではなく、信長軍に攻められ、高賀の入り口(木作)で三千人の坊さんたちは皆殺しとなり、板取川の淵に沈められ、川面は真っ赤に染まったと言われています。
この時、高賀にあった主な寺院やお堂はことごとく焼かれ、わずかに神社と観音堂が残ったとされています。【この記録は高賀神社所有の「高賀宮記録」(文化九年記録)に記載してあります。】
今でも、地元ではその淵を''' 「三千淵」 '''と呼んでいます。
三千人もの坊さんが居たとはとても思えませんが、相当数の人がこの淵で命を落としたのでしょうね。
三千人もの坊さんが居たとはとても思えませんが、相当数の人がこの淵で命を落としたのでしょうね。
そんな淵なのですが、夏になれば海水浴場並に人が押しかけて遊泳場になっています。
そして、その少し上流には旧高賀橋があって、若者たちの格好の「飛び込み場」となっています。
ちょっと怖い気もしますネ。
そして、その少し上流には旧高賀橋があって、若者たちの格好の「飛び込み場」となっています。
ここの渕は、板取川の三千渕から、支流の高賀川を2キロほど上流に上った所。
''' 「窯ヶ口」
'''といって、高賀渓谷にあるのですが、ここでは、信長の焼き討ちの時に、多くの僧侶がこの渕で首を切られたと言われているそうです。
こんな山間地なのですが、いろんな言い伝えが残っているのですよ!
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