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高賀六社めぐり (2007-12-19 19:05:46)
長良川と板取川に挟まれた高賀山脈には、高賀山(1,224m)を主峰に、瓢ケ岳(1,162m)、今淵ケ岳(1,048m)、片知山(966m)の山々がそびえています。
その山々の麓には六つの神社があって、いずれも高賀の魔物退治伝説にまつわる縁起を持った神社ばかりです。
夏に、これら六社を車で回ってみました。とても歩いては無理で、ましてや山の尾根つたいなどとても、とても・・・
昔は、六社を一日で、尾根つたいに踏破する苦行が盛んに行われていたようですが、現代人にとっては神業としか思えないほどです。
その山々の麓には六つの神社があって、いずれも高賀の魔物退治伝説にまつわる縁起を持った神社ばかりです。
高賀山の南の山腹には高賀神社があり、山の背面の北側に本宮神社、新宮神社、東側に星宮神社が、さらに、瓢ケ岳の南の山麓には金峰神社、今淵ケ岳の南山腹には瀧神社があります。
この一帯が高賀山信仰の圏域で、中世初期から近世にわたって高賀権現の名のもとに総括された社団が設立され、仏教道場として繁栄していたと伝えられています。
また、近世中期からは「高賀六社めぐり」という信仰集団が形成され、広い地域にわたって庶民の敬崇を受けたとされています。
この一帯が高賀山信仰の圏域で、中世初期から近世にわたって高賀権現の名のもとに総括された社団が設立され、仏教道場として繁栄していたと伝えられています。
また、近世中期からは「高賀六社めぐり」という信仰集団が形成され、広い地域にわたって庶民の敬崇を受けたとされています。
夏に、これら六社を車で回ってみました。とても歩いては無理で、ましてや山の尾根つたいなどとても、とても・・・
昔は、六社を一日で、尾根つたいに踏破する苦行が盛んに行われていたようですが、現代人にとっては神業としか思えないほどです。
うっそうとした杉林の中、ひたすら石段を登ると、そこに見えてくるのが瀧神社です。
ここは、昔から賽銭箱がない神社として知られています。
賽銭をそのまま拝殿に向かって投げ、それを子供が拾っても良いとされているそうです。
ここは、昔から賽銭箱がない神社として知られています。
賽銭をそのまま拝殿に向かって投げ、それを子供が拾っても良いとされているそうです。
片知山の麓にあるこの神社は、瓢ケ岳に住み着いた妖魔を藤原高光が退治に来た時、最初に妖魔の正体見て、その形を確認した場所とされています。
(以後その山を形智山、後に片知山と呼ぶようになったそうです。)
吉野修験の本拠である吉野に金峰神社がありますが、そこから名前をとってつけたものと言われていす。
(以後その山を形智山、後に片知山と呼ぶようになったそうです。)
吉野修験の本拠である吉野に金峰神社がありますが、そこから名前をとってつけたものと言われていす。
もともと明星(金星)信仰のお宮で、明星=虚空蔵菩薩信仰と結びついていて多くの修験者が訪れた神社です。別当寺として粥川寺があり、近世には、円空が最初に彫像活動を始めた場所が、ここ星宮神社とされています。
ちなみに、この地区では、虚空蔵菩薩信仰の眷属がウナギであるため、現在でもウナギを食べることは止されている地域です。
ちなみに、この地区では、虚空蔵菩薩信仰の眷属がウナギであるため、現在でもウナギを食べることは止されている地域です。
樹齢数百年の老杉が一面に立ち並ぶ中にこの神社はあります。
高賀第二の社殿と言われ、金銅虚空蔵菩薩座像をはじめ247面の懸仏など多くの文化財を今に伝えてます。
高賀第二の社殿と言われ、金銅虚空蔵菩薩座像をはじめ247面の懸仏など多くの文化財を今に伝えてます。
今年の8月に板取のタラガトンネルが開通したことで、郡上市にある新宮神社、本宮神社へは車で早くけるようになりました。
板取のタラガトンネルを通って最初にあるのが本宮神社なのですが、大きな社標まで着たら、そこから先の道がいきなり砂利道(どう見ても林道)だったため、自分の車ではとても無理と判断。
四駆で車高の高い車で来ていれば行けたのですが、かといって徒歩で4?5キロ行く気力もなく、あきめて帰ってきました。
四駆で車高の高い車で来ていれば行けたのですが、かといって徒歩で4?5キロ行く気力もなく、あきめて帰ってきました。
藤原高光の創建といわれ、別名は巌谷本宮ともいわれています。
※画像は「美濃中央高原」のパンフより
※画像は「美濃中央高原」のパンフより
詳細は、私のブログの「歴史・神社」のところで紹介していますので、そちらをご覧ください。
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