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feed 円空と和歌集 (2007-12-12 21:03:08)

歌人としての円空

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円空といえば、生涯12万体の仏像を彫ったとされ、その鉈彫りの荒々しい作風が頭に浮かんでくると思います。
でも、円空のもう一つ別の顔、「歌人」としての円空についてはまだ、あまり知られていないようです。

高賀神社には、円空の和歌が約、千五百首もあります。
そのほとんどが、大般若経を修復する時に、表紙裏に自作の和歌を貼りこんだもので、「元禄五年壬申暦五月吉日」(1692)の記銘があります。

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大般若経の和歌を貼りこむということは、経典とともに、自分の宗教観を残していこうという思いと、神への奉納の意味もあったのだろうと想像します。

千五百首の和歌のうち、「袈裟」(けさ)の二文字の付く歌、百首、「男童子」の二文字の付く歌、百首あるのが特徴のようです。

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○円空が歩いた高賀山頂から峯稚児神社への尾根道。

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○大岩の上に鎮座する峯稚児神社

''' 『白ら山や神ノ形ハ小児なれや白馬に乗って弓矢持つつ』 '''

 白山や高賀山峯稚児権現を詠んだ歌も数多くあります。

円 空 が使った硯

円空は、放浪の旅の最後の地として、ここ高賀神社を選んでいます。
生誕地とされる、羽島又は美並ではなく、洞戸の高賀なんですね。
ここで、多くの仏像を造り、そして和歌を書いています。
その時使っていた硯と、硯入れの箱が、高賀神社宮司宅に大切に保管されてきました。
(現在は洞戸円空記念館に展示してあります。(県重文))
硯の裏には「峯児」と彫ってあり、高賀山頂の峯稚児権現のことを表しています。

放浪の旅をやめて、高賀で修行すること三年。宮司に大切な硯を預けて、最後は関市池尻の長良川河畔で入定するまで、円空は、高賀の地で仏像と和歌を作り続けていたことになります。

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○円空の硯

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○硯箱
円空と同年代に生きた、''' 西鶴 '''や''' 芭蕉 '''は当時から高い評価を受けていました。それは、現代にまで読み継がれ名作となっています。
これに対して円空の評価は無いに等しいものでした。もっとも、作品を評価していた人が、都会の上級、中級の武士や商人たちであって、山村で活躍していた円空は、彼らと接することがなかったため、評価を得る機会さえなかったからなのでしょう。

膨大な数の円空仏が地方に保管されている事や、「飛州誌」や「近世奇人伝」、各寺院等で円空の名を留めていることから、円空が地方で高い評価をうけていたことを物語るものだと言えるでしょう。

元禄文化を語るに、西鶴や芭蕉らといささかもひけをとらないのではと思ってしまいます。

 


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