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ドイ山の紅葉と石仏群 (2007-11-29 23:44:40)
国道256号と県道美濃洞戸線の交差点西側に、ドイ山(ドウ山)と呼ばれる小山があります。
そこには約60体の石仏が祀られています。
このうち建立の分る一番古いものは、文化十年(1817)の''' 「六部千人宿供養塔」 '''です。
大乗妙典(法華経)を六十六部書写して、これを持って全国六十六ヶ国を巡り、国ごとに、代表的な寺社一ヶ所に一部ずつ経典を奉納することを六十六部廻国供養といい、その者たちを六十六部と呼び、略して六部と呼んだのだそうです。
当時廻国者即ち、六部の宿を貸すことが功徳とされている事から、千人の六部に宿を貸した、満願の記念として、願主河合氏が建立したものなのです。 台座には、世話人として江戸、長崎、備州、泉州、伊州と刻まれていることから全国からここ洞戸に廻国供養に来ていることになります。
当時この洞戸にある代表的な寺社と言えば、''' 高賀神社、蓮華峯寺 '''が想定されるのですが、はっきりとした繋がりが分っていません。当時廻国者即ち、六部の宿を貸すことが功徳とされている事から、千人の六部に宿を貸した、満願の記念として、願主河合氏が建立したものなのです。 台座には、世話人として江戸、長崎、備州、泉州、伊州と刻まれていることから全国からここ洞戸に廻国供養に来ていることになります。
石仏で一番多いのは''' 観音様 '''で、これは、西国三十三箇所を真似てこの地に建立したのだと思われます。
江戸時代にはこのドイ山に''' 代官所 '''が置かれ、''' 洞戸郷
'''の要となっていたようで、現在その跡地にはお稲荷さんがお祀りしてあります。
日本城郭辞典によると、''' 洞戸市場城 '''の記載があり、中世に、砦程度のものかと想像されるのですが、戦略上の拠点があったと思われます。
日本城郭辞典によると、''' 洞戸市場城 '''の記載があり、中世に、砦程度のものかと想像されるのですが、戦略上の拠点があったと思われます。
明治のころは、この山の直ぐ下は板取川が流れていて、川の崖っぷちに石仏が並んでいる状態であったようです。
ここは交通の要所であり、この石仏の前を板取川の筏で運んできた、木材や炭が洞戸の市場に卸され、牧谷、武芸川、岐阜方面へ売りに出されたと言われています。
今と昔では、川の位置が随分変わってきています。
ここに並んでいる石仏は、当時、物資の往来の安全と商売繁盛、または、当時の民間信仰を垣間見ることのできるスポットとして残っています。
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