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白隠と保福寺 (2007-11-10 0:34:29)
【保福寺の本堂】
明徳元(1390)年、釈能源により開創、以後約百六十年、宗旨・住僧ともに不明。その後、開山である東華慧光(つんげえこう)( ?1594)により庵であったものを現在の寺院とし、長泉山保福寺とした。洞戸地区では最古の寺院です。
・近世随一の禅僧といわれた''' 白隠慧鶴 '''(はくいんえかく・静岡出身)(1685
?1768)は、若き日に、当寺を二度勉学のために訪れています。
なぜ静岡から、わざわざ美濃の山中、洞戸の山寺へって? 疑問になりますよね。
なぜ静岡から、わざわざ美濃の山中、洞戸の山寺へって? 疑問になりますよね。
《ここ洞戸は、古くから高賀山信仰が盛んで、多くの修験者や一般参拝者が詣でた所だったため、修行僧たちの間ではただの山奥ではなく、宗教的には随分進んだ聖地であったため、修行の地として多くの雲水が訪れたのだと考えられます。》
一度は、白隠二十一歳の時、大垣の瑞雲寺から当寺に来て、保福寺の中興開山とされる''' 南禅化龍
'''(なんぜんけりょう)(1662?1710)に教えをうけています。この時白隠は南禅より '''「不生禅」
'''を学び、''' 「大灯国師」 '''の語録を閲覧しています。
二度目は、三十一歳の時に老僧南禅を訪ねて当寺に来ているが、南禅はすでに没していて、南禅の隠居所と思われる庵も無くなり麦畑になってしまっていた。(白隠自伝の『壁生草』(いつまでぐさ)より)
白隠の教えはその後、洞戸の興徳寺で修行し、後に梅泉寺の住職となった''' 隠山 '''に引き継がれ、''' 現代臨済禅の基礎
'''となっているのです。
隠山の略歴
・洞戸の梅泉寺を後継に譲った後、岐阜市瑞龍寺を復興。
・文化六(1809)年 ・妙心寺おいて、開山の関山の四百五十年の法要の導師を務める。
・ 同 年 ・光格天皇に拝謁。「正灯円照禅師」の称号を得る。
・文化八(1811)年 ・瑞龍寺の鶴棲院を中興。
・ 同 年 ・四月二十九日、六十九歳で示寂。鶴棲院(岐阜市)に墓所あり。
・洞戸の梅泉寺を後継に譲った後、岐阜市瑞龍寺を復興。
・文化六(1809)年 ・妙心寺おいて、開山の関山の四百五十年の法要の導師を務める。
・ 同 年 ・光格天皇に拝謁。「正灯円照禅師」の称号を得る。
・文化八(1811)年 ・瑞龍寺の鶴棲院を中興。
・ 同 年 ・四月二十九日、六十九歳で示寂。鶴棲院(岐阜市)に墓所あり。
※洞戸の禅宗寺院は、すべて臨済宗妙心寺派であり、中世の開創と伝えられている保福寺、興徳寺、近世に開創された梅泉寺は、いずれも臨済宗の中興の祖とされる白隠、その法系を継いだ隠山が学び修行した寺なのです。
美濃の山深い洞戸の地で、近世日本の臨済禅の基礎が築かれたことは特記すべきことではないでしょうか。
美濃の山深い洞戸の地で、近世日本の臨済禅の基礎が築かれたことは特記すべきことではないでしょうか。
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