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feed 宝物殿 【書物編その2】 (2007-10-29 23:00:47)

大般若経


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宝物殿に所蔵してある''' 大般若経 '''は、全部で595帖あり本来なら600帖あるはずなのですが、5帖紛失しているようです。
書かれた年代は随分ばらつきがあり、 ''' 保延五年?建保六年間(12世紀?13世紀) '''に書写された写経が中心で、このほかに14世紀中ごろの写経と16世紀に補写されたもので構成されています。
 
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:''' ※大般若経 ''' 三蔵法師が天竺から持ち帰った経典で、国家安泰・五穀豊穣、天災異変が起こった時に行われる厄除けの祈祷、異国降伏のための祈祷等々に用いられたお経。現在、この600巻の教典を読経する大般若会が真言・天台等の密教系宗派や禅宗において盛んに行われています。  
                       

この大般若経は、高賀神社で書かれたものではなく、''' 甲斐の国や熊野新宮神社 '''等から寄せられたものばかりで構成されています。
年代の解る一番古いものでは、''' 「願主 當社氏人前介 三枝守廉芳・保延五(1139)年」 '''と記されています。
ちなみに、「三枝氏」について調べてみると・・・''' 山梨県勝沼郡勝沼の大善寺 '''の創建者で平安時代、甲斐の国の在庁官人です。

残りの大部分が文治二(1189)年から建保六(1212)年にかけて''' 甲州岩泉寺 '''で書写されたもので、いずれも甲斐の国で書かれたものです。

甲州以外からのものでは、「奉施入熊野新宮」の墨書銘があるものが26帖あり、和歌山県那智郡熊野新宮から補配されたものです。

この時期、大般若経が修験者のメッカである熊野新宮から来ていることについては納得できるのですが、ほとんどが東国の甲州で書かれたものが高賀神社にもたらされていることに、疑問な点が残ります。
今のところ、甲州と高賀神社とを結ぶ資料や、言い伝えなど、具体的な接点が見当たりません。


 ''' 【大般若経の補修】 '''

補修は三度行われているようです。一回目が鎌倉中期、二度目が室町後期。
唐柩の銘文には永正十二(1515)年に大般若経六百巻を修補と記してあります。

三度目は、''' 円空上人 '''が補修しています。
もともと大般若経は巻子装であったのが、江戸時代、円空の手で冊子装に補修されたようです。それは、経典の補修材に円空の和歌を書いた紙や神符が使われており、円空が高賀で修行中に、痛んだ大般若経をすべて補修してたいことになります。

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美濃の山間地に、今から九百年も前の書物が残されていること、それを江戸時代に円空が手直しをしていたという事を思うと歴史の重さをずっしりと感じます。


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