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feed 茶摘みのシーズン (2008-5-11 12:26:17)

日本茶のお話


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  お茶はいつごろ日本に伝わったのか、それとも、もともと日本にも自生の
 お茶の樹があったのかは、まだ確かなことはわかっていないようです。

 奈良時代に大陸文化中の一つにお茶があって、たまたま日本の気候や
 土質がお茶づくりに適していて、現在に至ったのだろうと思われます。

 中国では、お茶は最初薬として飲まれていたようですね。



お茶と栄西禅師


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日本にお茶を広めたのは鎌倉時代の臨済宗の開祖、栄西禅師です。
 
栄西が茶栽培を推進した理由は、中国での滞在でお茶が体によいことを認めたからと言われていて、また、その不眠覚醒作用が禅の修行に必要であることが、お茶を奨励した大きな理由だったのでしょう。

ちなみに、茶道の世界では栄西禅師がお茶の開祖とされています。
 

室町時代になるとようやくお茶が公家や武士のあいだで広まり、社交の手段として愉しまれるようになってきました。 そして足利幕府の奨励を受けた宇治茶のブランドが広まります。


江戸時代中期にお茶の大革命が起きます。それは、「蒸して揉み、乾かす」という製法が発明されたことです。
これが現在の煎茶の製法の始まりで「手もみ製法」と呼ばれる製法です。
現在各地で伝承されている手もみ技術はすべてこの製法の流れをくむものとされています。


新製法のいわゆる煎茶は色や香り、味が良く江戸や各地で非常に評判が高く、普及が一気にすすみました。 一般庶民がお茶を楽しめるようになったのはこれ以降です。



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この製法は、私の家でも以前行っていた方法で、摘み取った茶葉を蒸してから手もみをして天日で乾燥させるものでした。・・・・今では手間がかかり、お茶摘みすら出来ない状態です。

毎年、茶葉の欲しい人に、我が家の茶を摘んで持っていってもらっているのですよ。

昔、美濃の国では、ここ洞戸・板取あたりがお茶栽培の北限とされていて、越前あたりから、板取街道で、お茶の買い付けに商人が行き来したと言われています。


現代では、お茶といえば静岡、岐阜県でお茶と言うと「白川茶」が有名ですが、洞戸地域でも古くからお茶栽培が盛んだったようです。 


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