image chara
ホーム  •  フォーラム  •  観光情報  •  サイト内検索
 メインメニュー
 最新ニュース
  ホーム >> RSSセンター >> 高賀神社 宝物殿(文化財収蔵庫)【仏像編】

RSSセンター

  メイン  |  簡易ヘッドライン  

link 洞戸なんでもあり・・・情報 洞戸なんでもあり・・・情報 (2018-9-9 18:06:05)

feed 高賀神社 宝物殿(文化財収蔵庫)【仏像編】 (2007-10-3 22:58:33)

宝物殿【仏像編】



 高賀神社と言えば、円空仏が有名になっていますが、神社の縁起が養老年間に遡ることから、本殿の右手にある「宝物殿」には、平安から鎌倉、室町時代にかけての仏像等が残されています。''' (仏像等は県の重要文化財に指定) '''


イメージ 3
オリジナルのサイズの画像を見る場合はクリックしてください。
  
 明治時代の廃仏希釈運動がなければ、仏像の数も、保存状態ももっとよいものがたくさん残っただろうと思います。
 現存する高賀の仏像群のほとんどが、両腕の破損や台座の撤去などでなんとか、仏像としての形を保っていて、この時期の神仏分離令による人々の寺院や仏像に対する破壊運動の激しさが偲ばれます。   


イメージ 5

 宝物殿の中で一際目をひくものに、像高147センチの''' 胎蔵界大日如来坐像 '''があります。
 この仏像は平安期もので、これほど大きなものは全国にもあまりなく、当時の高賀の宮は、多くの修験者が修行に訪れた密教寺院として繁栄を極めていたことが伺えます。
 
 高賀の宮は、平安時代より密教寺院としての色あいが濃く、神宮寺として蓮華峯寺(大日堂)が本殿の近くにあって、この大日如来坐像を中心にお祀りしてありました。
 大日如来像は本来単体でお祀りすることはあまり考えられず、胎蔵界と金剛界の両界の曼荼羅にならってそれぞれの大日如来像をお祀りするため、金剛界大日如来像も、この高賀の郷のどこかに存在したと考えるのが自然のようです。
 「高賀宮記録」には、応安二年六月に「大洪水で諸堂、寺院みな流されてしまった。」とあるため、その時に流失したとも考えられます。

イメージ 6

 また、木造仏では''' 岐阜県下で一番古い '''とされる''' 木造菩薩坐像 '''(天治元年)もあり、都から遠く離れた山里で、神仏混合の地方文化が花開いていたと思うと感慨深いものがあります。

 現代は、地方分権だの、地方の時代だのと叫ばれていますが、千年も昔の日本の方が、ずうっと地方が元気でそれぞれの地域で特有の文化が競い栄えていたのですね。


execution time : 0.106 sec
Powered by XOOPS Cube 2.1© 2005-2015 NPO Horadomura furusato-j Official Site
Theme Designed by OCEAN-NET