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コメント一覧
non
投稿日時 2010-3-3 1:53 | 最終変更
いつも素敵な写真と記事をありがとうございます。
この土雛を見に来た我が家の旦那さんが「これは五月人形だろう」って言うのです
旦那さんの実家にも同じようなのがあって五月の節句で飾っていたと・・・
「土雛って“お雛様(3月)”ではないの?」
あまり風土知識や歴史を知らない私は仮説を立てましたので詳しい方は教えて下さい。
“この土雛を提供して下さった方は男性です。その方のお祝いに贈られたり購入されたものであるならば男の子の節句としての五月人形。現にセンターにある土雛は勇ましいお人形ばかり(姫人形も数体ありますが大きさも数も男雛の方が大きいし多いです)。
女の子の節句としてのひな祭りに飾られる雛人形は姫人形なのかな・・・” どうでしょう?
この土雛を見に来た我が家の旦那さんが「これは五月人形だろう」って言うのです
旦那さんの実家にも同じようなのがあって五月の節句で飾っていたと・・・
「土雛って“お雛様(3月)”ではないの?」
あまり風土知識や歴史を知らない私は仮説を立てましたので詳しい方は教えて下さい。
“この土雛を提供して下さった方は男性です。その方のお祝いに贈られたり購入されたものであるならば男の子の節句としての五月人形。現にセンターにある土雛は勇ましいお人形ばかり(姫人形も数体ありますが大きさも数も男雛の方が大きいし多いです)。
女の子の節句としてのひな祭りに飾られる雛人形は姫人形なのかな・・・” どうでしょう?
mms-t
投稿日時 2010-3-3 21:47
nonさんの言われるとおり、勇ましい武者の土雛は、五月の端午の節句に、男の子の成長を祝って贈られたれたものですね。
ひな祭り用の土雛は、内裏雛とお雛様の対のものもあるようですが、たまたま、学習センターに飾ってあるものは、端午の節句用のものがほとんどでした。
土雛は江戸後期から明治中頃まで盛んに作られたようで、特に庶民の雛人形として重宝されたようです。
ひな祭り用の土雛は、内裏雛とお雛様の対のものもあるようですが、たまたま、学習センターに飾ってあるものは、端午の節句用のものがほとんどでした。
土雛は江戸後期から明治中頃まで盛んに作られたようで、特に庶民の雛人形として重宝されたようです。
non
投稿日時 2010-3-6 1:05 | 最終変更
mms-tさん ありがとうございました。
私も土雛をネットで調べていたら
引用:との表記を見つけました。
展示されている菅原道真公の土雛も
引用:ということで、贈られる方の気持ちが伝わってきますね。
土雛を見に来られた方が「籠に入れて売りに来たんだよ。」って教えてくれましたが、当時のその様子が私には想像がつきません。 それにしても本当に勇ましい姿の土雛ですね。
私も土雛をネットで調べていたら
引用:
古くは女の節句と男の節句がはっきりと分かれていなかったので、このとき女の雛人形と五月人形が一緒に飾られていました。道の駅「未知倶楽部」より
展示されている菅原道真公の土雛も
引用:
天神様(菅原道真)の土雛は、小学校の入学のお祝いとして贈られることが多かったようです。
土雛を見に来られた方が「籠に入れて売りに来たんだよ。」って教えてくれましたが、当時のその様子が私には想像がつきません。 それにしても本当に勇ましい姿の土雛ですね。
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