高賀修験道
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高賀修験道
msg# 1
mms-t
投稿数: 465
今、NHKの大河ドラマで「義経」を放映してますが、たまたまこの番組をみたら、義経が頼朝から京を追われ奥州平泉をめざして落ち延びるころの場面だったので、これはいいネタかもと思い、フォーラムに書き込んでます。
通説では、京都を追われた義経は、滋賀北部から北陸、越後をぬけ平泉へ到達したことになっていますが、「吾妻鏡」では、「伊勢・美濃をぬけて北陸へ・・・」とあります。
また、当時奥州藤原氏は、白山修験道との密接な関係が構築されていて、義経は、滋賀南部の甲賀、伊勢の伊賀、つまり忍者=修験者の助けを借りて美濃に入り、さらに白山修験者の手引きで石徹白をへて北陸へぬけたとの説が最近有力になっているんです。
ここで注目すべきは、伊勢から美濃に入って、白山を目指すには、その前に立ちふさがるのが高賀修験団ですよ! つまり義経は高賀の修験者たちの助けを借りてこの洞戸辺りを通り、郡上から石徹白へとのルートを通っているんです。
ただ「義経が高賀を通って逃げた」だけの話なんですけど、歴史の「この時」に高賀が少しでも関わっていると思うと何かしら身近に感じませんか??
通説では、京都を追われた義経は、滋賀北部から北陸、越後をぬけ平泉へ到達したことになっていますが、「吾妻鏡」では、「伊勢・美濃をぬけて北陸へ・・・」とあります。
また、当時奥州藤原氏は、白山修験道との密接な関係が構築されていて、義経は、滋賀南部の甲賀、伊勢の伊賀、つまり忍者=修験者の助けを借りて美濃に入り、さらに白山修験者の手引きで石徹白をへて北陸へぬけたとの説が最近有力になっているんです。
ここで注目すべきは、伊勢から美濃に入って、白山を目指すには、その前に立ちふさがるのが高賀修験団ですよ! つまり義経は高賀の修験者たちの助けを借りてこの洞戸辺りを通り、郡上から石徹白へとのルートを通っているんです。
ただ「義経が高賀を通って逃げた」だけの話なんですけど、歴史の「この時」に高賀が少しでも関わっていると思うと何かしら身近に感じませんか??
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Re: 高賀修験道
msg# 1.1
mms-t
投稿数: 465
中世の高賀神社は、「西高賀山蓮華峯寺」と称して多くの修験者が修行を目的として高賀を訪れていたんです。
高賀宮録によると、この時期には四十八ケ寺のお堂や宿坊があったと伝えられています。
高賀神社へ来る途中の蓮華峰寺も実は、その一つであって、唯一現存している貴重な観音堂なんですね。
地元の修験者は、「加持祈祷」で地域の人たちの病気を治したり、雨乞いをして五穀豊穣を神仏に祈ったんです。。・・・
時代は下って円空さんもこの高賀神社で雨乞いをしているんですよ!! それも高賀神社の「奥の院」である峰稚児神社で!
これは、高賀山頂付近にある峰稚児神社。岩の上に祠がおいてあるだけなんですが、風で吹き飛ばされたことはないんです!!不思議ですね。
高賀宮録によると、この時期には四十八ケ寺のお堂や宿坊があったと伝えられています。
高賀神社へ来る途中の蓮華峰寺も実は、その一つであって、唯一現存している貴重な観音堂なんですね。
地元の修験者は、「加持祈祷」で地域の人たちの病気を治したり、雨乞いをして五穀豊穣を神仏に祈ったんです。。・・・
時代は下って円空さんもこの高賀神社で雨乞いをしているんですよ!! それも高賀神社の「奥の院」である峰稚児神社で!
これは、高賀山頂付近にある峰稚児神社。岩の上に祠がおいてあるだけなんですが、風で吹き飛ばされたことはないんです!!不思議ですね。
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