高賀の神々
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高賀の神々
msg# 1
mms-t
投稿数: 465
omutoさんからのご質問に答えてみます。
高賀神社は養老元年(717年)の創建時に21の神々が鎮座していたんですよ。 それもすべて神話の世界の国づくりに携わった神とその子孫なんです。自然神、祖霊神ではないんです。 時代が下って、ご指摘していただいた、明治以降の神社統合(合祀)で高賀地区にあった二つの神社をもふくめ、全部で23の神々が祀られているんです。なぜ、こんなに多いんでしょうね。 高賀神社を調べるともっといろんな事が出で来ると思いますよ。
高賀神社は養老元年(717年)の創建時に21の神々が鎮座していたんですよ。 それもすべて神話の世界の国づくりに携わった神とその子孫なんです。自然神、祖霊神ではないんです。 時代が下って、ご指摘していただいた、明治以降の神社統合(合祀)で高賀地区にあった二つの神社をもふくめ、全部で23の神々が祀られているんです。なぜ、こんなに多いんでしょうね。 高賀神社を調べるともっといろんな事が出で来ると思いますよ。
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Re: 高賀の神々
msg# 1.1
omuto
投稿数: 20
mms-tさん、早速のお答えありがとうございました。
しかし、そうなってみると高賀神社の底深さが余計感じられますね。いったいぜんたい高賀神社の正体とは何なのでしょうか?
以前高賀の人にお話をうかがった時に、高賀の昔話に出てくる魔物とは、中央に反抗する勢力の「たとえ」であるとお聞きしました。
藤原高光が滅ぼしに来なくてはならないような、大きな勢力が高賀の山に存在していたと考えると、そういった勢力の中心として高賀神社は作られたのかもしれませんね。
それと、今年の夏休みに娘が一研究で洞戸の神社を調べたのだけど、市場の天神社も神話の世界の国づくりに携わった複数の神様を祭ってある神社だそうですね。天の神の社という意味で、菅原道真の天神様とはまったく関係がないそうです。これは高賀神社の分祀ということなのでしょうか?
しかし、そうなってみると高賀神社の底深さが余計感じられますね。いったいぜんたい高賀神社の正体とは何なのでしょうか?
以前高賀の人にお話をうかがった時に、高賀の昔話に出てくる魔物とは、中央に反抗する勢力の「たとえ」であるとお聞きしました。
藤原高光が滅ぼしに来なくてはならないような、大きな勢力が高賀の山に存在していたと考えると、そういった勢力の中心として高賀神社は作られたのかもしれませんね。
それと、今年の夏休みに娘が一研究で洞戸の神社を調べたのだけど、市場の天神社も神話の世界の国づくりに携わった複数の神様を祭ってある神社だそうですね。天の神の社という意味で、菅原道真の天神様とはまったく関係がないそうです。これは高賀神社の分祀ということなのでしょうか?
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Re: 高賀の神々
msg# 1.1.1
mms-t
投稿数: 465
引用:そうですね。最初にここ高賀に社を創建したのは、8世紀前半で、その時すでに天御中主神(アメノナカヌシノミコト)ほか20神を祭神としています。 「社」を作ってお祭りするという習慣は、「大和」の神々=神話の神を祀るようになってからなんです。
それ以前には、この高賀に自然神を崇拝するような民族が存在しそれを西からの大和朝廷の勢力が、この地を征服しするために、先住民の神々を否定して「神話の神々」を鎮座させたのではと考えます。古代、高賀には東北の蝦夷(えみし)に匹敵するような土着の民族がいた可能性は十分あると思いますよ。!
引用:「旧村史」を見ると、「天神七代神」、「菅原道真」とあります。これは、omutoさんのご指摘のとおり、高賀と同じ「神話の神々」の一部が祭神となっています。
「現村史」を見ると市場天神社には、菅原道真を祭神とする記述はないのですが、「旧村史」にははっきりと記載されています。 あと、一つ気になるのは、「社紋」です。天神社の玉垣に「梅鉢」の紋が彫られています。これは菅原道真を祭る天満宮はすべてこの「社紋」なんです。たぶん市場の天神社は、菅原公も祭神としてお祭りしてあると考えます。 地元の氏神様をよく見ると知らないことばっかりですね! 市場の神社も少なからず高賀と関係あるのかも知れません。。。
以前高賀の人にお話をうかがった時に、高賀の昔話に出てくる魔物とは、中央に反抗する勢力の「たとえ」であるとお聞きしました。
藤原高光が滅ぼしに来なくてはならないような、大きな勢力が高賀の山に存在していたと考えると、そういった勢力の中心として高賀神社は作られたのかもしれませんね。
それ以前には、この高賀に自然神を崇拝するような民族が存在しそれを西からの大和朝廷の勢力が、この地を征服しするために、先住民の神々を否定して「神話の神々」を鎮座させたのではと考えます。古代、高賀には東北の蝦夷(えみし)に匹敵するような土着の民族がいた可能性は十分あると思いますよ。!
引用:
市場の天神社も神話の世界の国づくりに携わった複数の神様を祭ってある神社だそうですね。天の神の社という意味で、菅原道真の天神様とはまったく関係がないそうです。これは高賀神社の分祀ということなのでしょうか?
「現村史」を見ると市場天神社には、菅原道真を祭神とする記述はないのですが、「旧村史」にははっきりと記載されています。 あと、一つ気になるのは、「社紋」です。天神社の玉垣に「梅鉢」の紋が彫られています。これは菅原道真を祭る天満宮はすべてこの「社紋」なんです。たぶん市場の天神社は、菅原公も祭神としてお祭りしてあると考えます。 地元の氏神様をよく見ると知らないことばっかりですね! 市場の神社も少なからず高賀と関係あるのかも知れません。。。
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Re: 高賀の神々
msg# 1.1.1.1
non
居住地: 町から山越えしたとこ
投稿数: 304
引用:これはまさしく「もののけ姫」の世界!時代設定は違うかもしれないけれど、蝦夷の民族がアシタカやサンに通じるものがあるようです。高賀の山にそのような民族がいたかもしれない・・・mms-tさん 面白い解釈です
高賀に自然神を崇拝するような民族が存在しそれを西からの大和朝廷の勢力が、この地を征服しするために、先住民の神々を否定して「神話の神々」を鎮座させたのではと考えます。古代、高賀には東北の蝦夷(えみし)に匹敵するような土着の民族がいた可能性は十分あると思いますよ。!
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Re: 高賀の神々
msg# 1.2
omuto
投稿数: 20
高賀について様々な可能性が考えられると思うのだけど、古代語について研究すると、もっといろいろなことが分かってくるのではないのかなあ。
たとえば「平」がつく地名には必ず崖があるとか。そういえば美濃市の「表平」地区には山に大きな崖がありますね。飛騨地区の平湯や平瀬にも大きな崖が必ずあります。これは古代語で崖のことを「ひら」と言っていたからなんだそうです。また、渥美とか安曇とかいう地名は海洋民族であった「あずみ族」の痕跡が必ずあるとか。そんな風な切り口から調べてみるのもおもしろいと思います。
○○賀とつく地名でぱっと思いつくのは忍者で有名な伊賀と甲賀ですよね。山賀という言葉もありますよね。ということは山に寄った、特殊な技能を持つ民族の痕跡とも考えられませんか?
山に寄って生きるというとなんだか奥まったところに引っ込むみたいに現代人の我々は思ってしまうけれども、人々がみんな自分の足で歩いて移動していた古代においては、峠越えの近道というのは人々の大動脈だったと思うのです。高賀の場合は洞戸にも乙狩にも粥川にも片知にも八幡にも抜けられるのだから、これほど便利な地点はないわけで、古代の交差点のような場所であったのでは?
高賀は奥が深いと改めて思うのでした。
たとえば「平」がつく地名には必ず崖があるとか。そういえば美濃市の「表平」地区には山に大きな崖がありますね。飛騨地区の平湯や平瀬にも大きな崖が必ずあります。これは古代語で崖のことを「ひら」と言っていたからなんだそうです。また、渥美とか安曇とかいう地名は海洋民族であった「あずみ族」の痕跡が必ずあるとか。そんな風な切り口から調べてみるのもおもしろいと思います。
○○賀とつく地名でぱっと思いつくのは忍者で有名な伊賀と甲賀ですよね。山賀という言葉もありますよね。ということは山に寄った、特殊な技能を持つ民族の痕跡とも考えられませんか?
山に寄って生きるというとなんだか奥まったところに引っ込むみたいに現代人の我々は思ってしまうけれども、人々がみんな自分の足で歩いて移動していた古代においては、峠越えの近道というのは人々の大動脈だったと思うのです。高賀の場合は洞戸にも乙狩にも粥川にも片知にも八幡にも抜けられるのだから、これほど便利な地点はないわけで、古代の交差点のような場所であったのでは?
高賀は奥が深いと改めて思うのでした。
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Re: 高賀の神々
msg# 1.2.1
montas
投稿数: 1286
乱入にて失礼します。m(_)m
引用:おもしろい説ですね。
”高賀”については、下記で話題になったことがありますので、是非、下記のスレッド内に追記ください。
スレッド名: 高賀その名の由来
引用:
○○賀とつく地名でぱっと思いつくのは忍者で有名な伊賀と甲賀ですよね。山賀という言葉もありますよね。ということは山に寄った、特殊な技能を持つ民族の痕跡とも考えられませんか?
”高賀”については、下記で話題になったことがありますので、是非、下記のスレッド内に追記ください。
スレッド名: 高賀その名の由来
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Re: 高賀の神々
msg# 1.2.1.1
omuto
投稿数: 20
http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
というサイトを見つけました。なかなかおもしろいので興味のある方はみてください。
山に寄って生きた特殊な技能を持った集団というときに僕が思い描いたのはいわゆる「サンカ(山窩)」と呼ばれた人々だったのです。
僕もあんまり詳しくないので、何も偉そうなことは言えないのでけど、ちょっとおもしろいなあと思ったのは、サンカの人々がウナギを重要視というか神聖視していたという指摘です。例のウナギが藤原高光公を道案内したという言い伝えがあるよね。あれはウナギを神聖なものと考えた人々特有の発想から生まれたのではないかしら。そう考えると高賀とサンカの結びつきがいよいよ怪しくなってくるのだけど、まあ妄想といえば妄想に近いのだけどね。
それと甲賀忍者で有名な滋賀県の甲賀ですけど、ここもかんさいでは「こうか」と読まれて「こうが」のように濁らないそうです。
というサイトを見つけました。なかなかおもしろいので興味のある方はみてください。
山に寄って生きた特殊な技能を持った集団というときに僕が思い描いたのはいわゆる「サンカ(山窩)」と呼ばれた人々だったのです。
僕もあんまり詳しくないので、何も偉そうなことは言えないのでけど、ちょっとおもしろいなあと思ったのは、サンカの人々がウナギを重要視というか神聖視していたという指摘です。例のウナギが藤原高光公を道案内したという言い伝えがあるよね。あれはウナギを神聖なものと考えた人々特有の発想から生まれたのではないかしら。そう考えると高賀とサンカの結びつきがいよいよ怪しくなってくるのだけど、まあ妄想といえば妄想に近いのだけどね。
それと甲賀忍者で有名な滋賀県の甲賀ですけど、ここもかんさいでは「こうか」と読まれて「こうが」のように濁らないそうです。
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Re: 高賀の神々
msg# 1.2.1.1.1
mms-t
投稿数: 465
引用:「特殊な技能」ってどんな技能なんでしょうねぇ。 「木地師」(きじし)、つまりカナ木で椀や盆といった器を作る技能を持った集団。を思い浮かべるのですが、ただ、こ時代を見ると平安時代以降だし、洞戸へ入ってきたのはもう少し後だと考えてます。ちなみに「木地師」発祥の地は、滋賀県永源寺町の君ケ畑荘。それは甲賀地方にあるんです! 藤田姓、小椋姓がその末裔なんです。高賀にはない姓ですが、片知にはその末裔の方々がおられるようです。 何か繋がるものを感じませんか??
http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
山に寄って生きた特殊な技能を持った集団というときに僕が思い描いたのはいわゆる「サンカ(山窩)」と呼ばれた人々だったのです。
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Re: 高賀の神々
msg# 1.2.1.1.1.1
omuto
投稿数: 20
mms-tさん すごい発見ですね。驚きです。
藤田姓は山県市の柿野にも多いよね。木地師と高賀と滋賀県の甲賀の間に何らかの関係があるのは確実のように思います。
ちなみに武藤姓は山形県の羽黒修験道に関係が深い名字だそうです。
それと 僕のイメージした「特殊な技能」というのは、木の枝や竹を編んで、農具や様々な入れ物を作ったりする技能のことでした。それと急峻な山道を平気で越えていく体力も。これってほとんど忍者の世界だよね。
藤田姓は山県市の柿野にも多いよね。木地師と高賀と滋賀県の甲賀の間に何らかの関係があるのは確実のように思います。
ちなみに武藤姓は山形県の羽黒修験道に関係が深い名字だそうです。
それと 僕のイメージした「特殊な技能」というのは、木の枝や竹を編んで、農具や様々な入れ物を作ったりする技能のことでした。それと急峻な山道を平気で越えていく体力も。これってほとんど忍者の世界だよね。
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Re: 高賀の神々
msg# 1.2.1.1.1.1.1
mms-t
投稿数: 465
引用:
武藤姓は羽黒山の修験道関係ですか! これは初めての情報です。
市場地区の武藤姓は「武家の出だ!!」とはよく聞いたことありますよ。
ちなみにomutoさんちの家紋は何ですか? 「剣カタバミ」かな??
この図は、江戸時代の高賀神社を描いたもので、大変貴重な絵図なんです。 この社を建てる前に、どんな民族がここを支配していたかを想像するとなかなか面白いですね。高賀の神々(23神)が鎮座しなければならなかった理由。 日本史の常識から考えると、先住民族を征服した勢力は必ずといっていいほど、先住民の神、あるいは長(オサ)の祟りを恐れて手厚く祭り上げるのが常なんですが、高賀にはそれが今のところ見当たりません。 高賀神社以外にこの地に何かをお祭りした古社はないもんですかねぇ・・・情報あったら教えてください。
ちなみに武藤姓は山形県の羽黒修験道に関係が深い名字だそうです。
武藤姓は羽黒山の修験道関係ですか! これは初めての情報です。
市場地区の武藤姓は「武家の出だ!!」とはよく聞いたことありますよ。
ちなみにomutoさんちの家紋は何ですか? 「剣カタバミ」かな??
この図は、江戸時代の高賀神社を描いたもので、大変貴重な絵図なんです。 この社を建てる前に、どんな民族がここを支配していたかを想像するとなかなか面白いですね。高賀の神々(23神)が鎮座しなければならなかった理由。 日本史の常識から考えると、先住民族を征服した勢力は必ずといっていいほど、先住民の神、あるいは長(オサ)の祟りを恐れて手厚く祭り上げるのが常なんですが、高賀にはそれが今のところ見当たりません。 高賀神社以外にこの地に何かをお祭りした古社はないもんですかねぇ・・・情報あったら教えてください。
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