名僧 隠山和尚
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名僧 隠山和尚
msg# 1
mms-t
投稿数: 465
洞戸で有名な禅僧ってご存知でしょうか。
洞戸には、現在5つの禅寺(いずれもl臨済宗妙心寺派)があるんですが、今は無住の寺もあり、宗教色は薄れ葬式仏教っていう感じが拭えませんよね。
江戸時代、ここ洞戸は禅宗のお坊さんの修行の地だったんですよ!! 交通の未発達な時代に、近世日本の臨済禅を革新した四つの流れ、古月、盤珪、黄檗隠元、白隠の法系のうち黄檗系を除く三つの流派が、洞戸の禅寺で小坊主や雲水らに教えられてたんです。その中の一人、隠山が、洞戸興徳寺で修行(9?16才)し、京都妙心寺で導師を務め最後は時の天皇から「正燈円照禅師」の称号までもらったえーらい坊さんなんです。
洞戸って、山の中だけど、随分文化的に水準が高く、開けてたんですよ。
洞戸には、現在5つの禅寺(いずれもl臨済宗妙心寺派)があるんですが、今は無住の寺もあり、宗教色は薄れ葬式仏教っていう感じが拭えませんよね。
江戸時代、ここ洞戸は禅宗のお坊さんの修行の地だったんですよ!! 交通の未発達な時代に、近世日本の臨済禅を革新した四つの流れ、古月、盤珪、黄檗隠元、白隠の法系のうち黄檗系を除く三つの流派が、洞戸の禅寺で小坊主や雲水らに教えられてたんです。その中の一人、隠山が、洞戸興徳寺で修行(9?16才)し、京都妙心寺で導師を務め最後は時の天皇から「正燈円照禅師」の称号までもらったえーらい坊さんなんです。
洞戸って、山の中だけど、随分文化的に水準が高く、開けてたんですよ。
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Re: 名僧 隠山和尚
msg# 1.1
montas
投稿数: 1286
そうそう、そうらしいのです。
興徳寺の現住職、山本老僧のお話によると、洞戸のお寺には価値のある歴史上の資料がたくさん見受けられるんだそうです。
かの白隠も関わりがあったようですし、世代はくだりますが、その教えを引き継いだ隠山が導師まで上り詰めたのだとしたら、その源流は、案外、洞戸なのかもしれないですよね。
洞戸はすごい V(^^)
mms-t さん隠山和尚の情報をもっといただけませんか。
興徳寺の現住職、山本老僧のお話によると、洞戸のお寺には価値のある歴史上の資料がたくさん見受けられるんだそうです。
かの白隠も関わりがあったようですし、世代はくだりますが、その教えを引き継いだ隠山が導師まで上り詰めたのだとしたら、その源流は、案外、洞戸なのかもしれないですよね。
洞戸はすごい V(^^)
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Re: 名僧 隠山和尚
msg# 1.1.1
mms-t
投稿数: 465
montasさんいろいろ聞いていただいてありがとう! こういう昔話は普段、なかなかできないから話せる場ができて光栄です。
隠山和尚その?
生まれは石徹白、今の郡上市の北西部(1751年生まれ)。白山神社の宮司の子で、洞戸の興徳寺の禅規という僧が石徹白へ行った時に、当時九歳の隠山を興徳寺へ連れてきたんです。
興徳寺の老山和尚(市場の林家出身)の弟子として、16歳まで禅の修業をしたんですよ。 その後、雲水として、江戸方面へ修行に出るんです。 この続きはまた今度書きますネ。
洞戸の禅寺には、隠山の残したものがいろいろありますよ。
たとえば、お寺の本堂の上には、たいてい「山号」を記した額が 掲げてありますが、梅泉寺、保福寺、円通庵には、隠山が書いたそれがあるんですよ。 いや、あったんです。 でも、今は取り外されたり、本堂が崩れてないため、他に移してあったりと、昔の面影さえない寺もあるので、ちょっと寂しいです。
あとは隠山の書なんかは結構普通の民家で大切に保管されてたり、 白隠の軸なんかは、相当な値がつくんじゃないかなぁ。。古い蔵や、押入れの中を探すと出でくるかも・・・
隠山和尚その?
生まれは石徹白、今の郡上市の北西部(1751年生まれ)。白山神社の宮司の子で、洞戸の興徳寺の禅規という僧が石徹白へ行った時に、当時九歳の隠山を興徳寺へ連れてきたんです。
興徳寺の老山和尚(市場の林家出身)の弟子として、16歳まで禅の修業をしたんですよ。 その後、雲水として、江戸方面へ修行に出るんです。 この続きはまた今度書きますネ。
洞戸の禅寺には、隠山の残したものがいろいろありますよ。
たとえば、お寺の本堂の上には、たいてい「山号」を記した額が 掲げてありますが、梅泉寺、保福寺、円通庵には、隠山が書いたそれがあるんですよ。 いや、あったんです。 でも、今は取り外されたり、本堂が崩れてないため、他に移してあったりと、昔の面影さえない寺もあるので、ちょっと寂しいです。
あとは隠山の書なんかは結構普通の民家で大切に保管されてたり、 白隠の軸なんかは、相当な値がつくんじゃないかなぁ。。古い蔵や、押入れの中を探すと出でくるかも・・・
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Re: 名僧 隠山和尚
msg# 1.1.1.1
montas
投稿数: 1286
引用:すると、隠山を郡上騒動にまぎれて洞戸に連れて来たのは興徳寺の禅規なんですね。
隠山は禅規と老山に仕えたということですか? ん?禅規も老山のお弟子さんですか?
隠山に教えを説いて隠山たらしめたのは、洞戸の老山なんですね。
恐るべし老山。。
隠山は興徳寺の創建に関わったと聞いていますが、お弟子さんとしてなのでしょうか。
洞戸の興徳寺の禅規という僧が石徹白へ行った時に、当時九歳の隠山を興徳寺へ連れてきたんです。
隠山は禅規と老山に仕えたということですか? ん?禅規も老山のお弟子さんですか?
隠山に教えを説いて隠山たらしめたのは、洞戸の老山なんですね。
恐るべし老山。。
隠山は興徳寺の創建に関わったと聞いていますが、お弟子さんとしてなのでしょうか。
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Re: 名僧 隠山和尚
msg# 1.1.1.1.1
mms-t
投稿数: 465
引用:
そう! この時代は郡上騒動の時期とちょうど一致するんです。江戸で箱訴(直訴)をやり最後に処刑されたうちの一人に杉本姓があります。これは推理ですが、子供(隠山、姓は杉本)が騒動に巻き込まれないようにと、洞戸へ逃がしたと考えてます。
当時、興徳寺には、老山和尚のほか弟子二人と小者一人との記録があります。 つまり弟子の一人が禅規で、小者というのがまだ少年だった隠山のことだと思いますよ。
老山とその先代の曇霊(どんれい)は、九州の古月禅才、江戸の盤珪とも交流があり、近世臨済禅の修業場としては申し分のないお寺ですよ。 よく、現住職山本老僧が私との話の中で「天下の興徳寺」だから・・との言葉をよく出されていたのを思うと、納得してしまいます。
引用:
当時の興徳寺は修行寺として出来上がっていて、創建に関わったというのは、通元寺の梅泉寺ですよ。 梅泉寺については、その歴史がこれほどはっはりと文書で残っている寺もめずらしいんです。 こんな山の中の寺で・・・ 梅泉寺については、隠山との関わりがまた深いので、今度にします! また、読んでください。。
すると、隠山を郡上騒動にまぎれて洞戸に連れて来たのは興徳寺の禅規なんですね。
隠山は禅規と老山に仕えたということですか? ん?禅規も老山のお弟子さんですか?
そう! この時代は郡上騒動の時期とちょうど一致するんです。江戸で箱訴(直訴)をやり最後に処刑されたうちの一人に杉本姓があります。これは推理ですが、子供(隠山、姓は杉本)が騒動に巻き込まれないようにと、洞戸へ逃がしたと考えてます。
当時、興徳寺には、老山和尚のほか弟子二人と小者一人との記録があります。 つまり弟子の一人が禅規で、小者というのがまだ少年だった隠山のことだと思いますよ。
老山とその先代の曇霊(どんれい)は、九州の古月禅才、江戸の盤珪とも交流があり、近世臨済禅の修業場としては申し分のないお寺ですよ。 よく、現住職山本老僧が私との話の中で「天下の興徳寺」だから・・との言葉をよく出されていたのを思うと、納得してしまいます。
引用:
隠山は興徳寺の創建に関わったと聞いていますが、お弟子さんとしてなのでしょうか。
当時の興徳寺は修行寺として出来上がっていて、創建に関わったというのは、通元寺の梅泉寺ですよ。 梅泉寺については、その歴史がこれほどはっはりと文書で残っている寺もめずらしいんです。 こんな山の中の寺で・・・ 梅泉寺については、隠山との関わりがまた深いので、今度にします! また、読んでください。。
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Re: 名僧 隠山和尚
msg# 1.1.1.1.1.1
non
居住地: 町から山越えしたとこ
投稿数: 304
「梅泉寺」は私の家に近いところにあります。
正直、今の梅泉寺はちょっと不気味な雰囲気が。。。
どんなお寺だったのか知りたかったので、mms-tさんの次の投稿を楽しみにしています。
正直、今の梅泉寺はちょっと不気味な雰囲気が。。。
どんなお寺だったのか知りたかったので、mms-tさんの次の投稿を楽しみにしています。
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Re: 名僧 隠山和尚
msg# 1.1.1.1.1.1.1
mms-t
投稿数: 465
この写真は、「梅泉寺跡」で、左端に観音堂が残ってるだけです。
引用:
確かに、山の中でちょっと不気味な気がしますが、ここに、平成7年までは、本堂もあったんですよ。 戦後 東海林和尚を最後に正式な住職はいなくて、無住状態が続き、荒廃してしまったため本堂を取り壊し、本尊を脇の観音堂に移したんです。
今、本堂の貴重な写真を探しているので、見つかり次第また画像を載せますね!
梅泉寺は、興徳寺の老山和尚が初代、隠山は二代目住職として、江戸方面で修行して立派になって帰ってきたんですよ。
梅泉寺の開基(資金を調達した人)は武藤嘉エ門という当時の洞戸一の豪商。(何でも扱っていたようで、今で言う総合商社です。) この人一人の経済力でこの寺を作ったんです!スゴイ
洞戸の○○商店さんは、その嘉エ門の末裔なんですよ。 だから、いまでも、残った観音堂と、この寺の鎮守である金毘羅神社の管理をしてみえます。
引用:
正直、今の梅泉寺はちょっと不気味な雰囲気が。。。
確かに、山の中でちょっと不気味な気がしますが、ここに、平成7年までは、本堂もあったんですよ。 戦後 東海林和尚を最後に正式な住職はいなくて、無住状態が続き、荒廃してしまったため本堂を取り壊し、本尊を脇の観音堂に移したんです。
今、本堂の貴重な写真を探しているので、見つかり次第また画像を載せますね!
梅泉寺は、興徳寺の老山和尚が初代、隠山は二代目住職として、江戸方面で修行して立派になって帰ってきたんですよ。
梅泉寺の開基(資金を調達した人)は武藤嘉エ門という当時の洞戸一の豪商。(何でも扱っていたようで、今で言う総合商社です。) この人一人の経済力でこの寺を作ったんです!スゴイ
洞戸の○○商店さんは、その嘉エ門の末裔なんですよ。 だから、いまでも、残った観音堂と、この寺の鎮守である金毘羅神社の管理をしてみえます。
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Re: 隠山和尚
msg# 1.1.1.1.1.1.1.1
mms-t
投稿数: 465
この写真が梅泉寺最後の写真だと思います。(平成7年冬) 右の本堂が傾いて崩れかけています。 今、この規模の寺を復興すると何億かかるかなぁ。
この年の夏ごろ、崩壊すると危険だというので、取り壊されてしまいました。 でも、隠山が復興した岐阜の瑞龍寺では、隠山ゆかりの寺が無くなるのを聞いて、寺の一部(扉や、床材)を檀家さんからもらい受け、瑞龍寺本堂の玄関の踏み板に使っています。
禅宗、中でも臨済宗にとっての中興の祖とあがめられる白隠の禅を受け継いで、多くの寺の復興に尽力した隠山。
現在の臨済宗のほとんどの寺がその白隠、隠山の法系を継いで今に至っていることを思うと、この二人の名僧はいずれも「洞戸」で修行し(白隠は菅谷の保福寺を二度訪れ南禅和尚を師としている)、最後は京都の本山まで上りつめた。。。。。 これもスゴイ事ですよネ
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