高賀修験道
mms-t
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今、NHKの大河ドラマで「義経」を放映してますが、たまたまこの番組をみたら、義経が頼朝から京を追われ奥州平泉をめざして落ち延びるころの場面だったので、これはいいネタかもと思い、フォーラムに書き込んでます。
通説では、京都を追われた義経は、滋賀北部から北陸、越後をぬけ平泉へ到達したことになっていますが、「吾妻鏡」では、「伊勢・美濃をぬけて北陸へ・・・」とあります。
また、当時奥州藤原氏は、白山修験道との密接な関係が構築されていて、義経は、滋賀南部の甲賀、伊勢の伊賀、つまり忍者=修験者の助けを借りて美濃に入り、さらに白山修験者の手引きで石徹白をへて北陸へぬけたとの説が最近有力になっているんです。
ここで注目すべきは、伊勢から美濃に入って、白山を目指すには、その前に立ちふさがるのが高賀修験団ですよ! つまり義経は高賀の修験者たちの助けを借りてこの洞戸辺りを通り、郡上から石徹白へとのルートを通っているんです。
ただ「義経が高賀を通って逃げた」だけの話なんですけど、歴史の「この時」に高賀が少しでも関わっていると思うと何かしら身近に感じませんか??
通説では、京都を追われた義経は、滋賀北部から北陸、越後をぬけ平泉へ到達したことになっていますが、「吾妻鏡」では、「伊勢・美濃をぬけて北陸へ・・・」とあります。
また、当時奥州藤原氏は、白山修験道との密接な関係が構築されていて、義経は、滋賀南部の甲賀、伊勢の伊賀、つまり忍者=修験者の助けを借りて美濃に入り、さらに白山修験者の手引きで石徹白をへて北陸へぬけたとの説が最近有力になっているんです。
ここで注目すべきは、伊勢から美濃に入って、白山を目指すには、その前に立ちふさがるのが高賀修験団ですよ! つまり義経は高賀の修験者たちの助けを借りてこの洞戸辺りを通り、郡上から石徹白へとのルートを通っているんです。
ただ「義経が高賀を通って逃げた」だけの話なんですけど、歴史の「この時」に高賀が少しでも関わっていると思うと何かしら身近に感じませんか??
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