Re: 高賀の神々
mms-t
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引用:そうですね。最初にここ高賀に社を創建したのは、8世紀前半で、その時すでに天御中主神(アメノナカヌシノミコト)ほか20神を祭神としています。 「社」を作ってお祭りするという習慣は、「大和」の神々=神話の神を祀るようになってからなんです。
それ以前には、この高賀に自然神を崇拝するような民族が存在しそれを西からの大和朝廷の勢力が、この地を征服しするために、先住民の神々を否定して「神話の神々」を鎮座させたのではと考えます。古代、高賀には東北の蝦夷(えみし)に匹敵するような土着の民族がいた可能性は十分あると思いますよ。!
引用:「旧村史」を見ると、「天神七代神」、「菅原道真」とあります。これは、omutoさんのご指摘のとおり、高賀と同じ「神話の神々」の一部が祭神となっています。
「現村史」を見ると市場天神社には、菅原道真を祭神とする記述はないのですが、「旧村史」にははっきりと記載されています。 あと、一つ気になるのは、「社紋」です。天神社の玉垣に「梅鉢」の紋が彫られています。これは菅原道真を祭る天満宮はすべてこの「社紋」なんです。たぶん市場の天神社は、菅原公も祭神としてお祭りしてあると考えます。 地元の氏神様をよく見ると知らないことばっかりですね! 市場の神社も少なからず高賀と関係あるのかも知れません。。。
以前高賀の人にお話をうかがった時に、高賀の昔話に出てくる魔物とは、中央に反抗する勢力の「たとえ」であるとお聞きしました。
藤原高光が滅ぼしに来なくてはならないような、大きな勢力が高賀の山に存在していたと考えると、そういった勢力の中心として高賀神社は作られたのかもしれませんね。
それ以前には、この高賀に自然神を崇拝するような民族が存在しそれを西からの大和朝廷の勢力が、この地を征服しするために、先住民の神々を否定して「神話の神々」を鎮座させたのではと考えます。古代、高賀には東北の蝦夷(えみし)に匹敵するような土着の民族がいた可能性は十分あると思いますよ。!
引用:
市場の天神社も神話の世界の国づくりに携わった複数の神様を祭ってある神社だそうですね。天の神の社という意味で、菅原道真の天神様とはまったく関係がないそうです。これは高賀神社の分祀ということなのでしょうか?
「現村史」を見ると市場天神社には、菅原道真を祭神とする記述はないのですが、「旧村史」にははっきりと記載されています。 あと、一つ気になるのは、「社紋」です。天神社の玉垣に「梅鉢」の紋が彫られています。これは菅原道真を祭る天満宮はすべてこの「社紋」なんです。たぶん市場の天神社は、菅原公も祭神としてお祭りしてあると考えます。 地元の氏神様をよく見ると知らないことばっかりですね! 市場の神社も少なからず高賀と関係あるのかも知れません。。。
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- 高賀の神々 (mms-t, 2005-10-17 21:08)