昨夜から降り始め今朝から本格的になった雪は、現在中央部で40cm〜55cmです。
今年の雪の特徴は昼間に降ること、しかも日曜。
週明けの準備の為に黙々と雪かきの休日です。
これだけ積もると、車庫から道路まで距離のあるお宅では、車を出すだけで重労働です。
洞戸より更に山間部の高齢者世帯では家から出ることもままならないでしょう。
雪下ろしボランティアのニュースがTVを賑わしますが、そんな付け焼刃的対策では、もうどうにもならないところまで来ています。
今シーズンはカメムシがあまり見られないので雪は少ない、という予想に反して降りました。
現在洞戸中心部で約35cmです。 ご報告まで。。
関市内のNPOで組織する、せきNPO連絡会の交流事業の第二回目として、「NPO法人サポートセンターるはーふ」の運営する施設に行って、具体的な活動等についていろいろとお話を聞いてきました。 ふるさと塾からは私を含め3名の参加でした。
この団体は、関市内住宅街の真ん中で、広い個人のお屋敷の一角にその施設はあって、
介護保険事業、ふれあい交流事業、子育て支援事業、作品展示事業、配食サービス事業等地域密着型の事業を、喫茶を中心とした食事の出来る施設を拠点に活動を行っています。
世代をこえて皆が交流でき、親子でもくつろげる場所作りを一番の目標に掲げ、正会員12名の人たちで運営されています。
中心になって活動されている人は、介護保険事業(ケアマネ)の資格を持った三名の元気な女性で、NPOの立ち上げから、企画、運営、経理事務までを担当してみえます。
核家族や、高齢者が今後も増え続けることから、益々こういったNPO活動のニーズが増え、地域社会に無くてはならない団体となることと思います。
洞戸村ふるさと塾の活動拠点として、飲食や、売店が出来、尚且つ世代をこえた人たちが集えるスペースのある施設があればいいなと痛感して帰ってきました。
関市内のNPOで組織する、せきNPO連絡会の交流事業の第一回目としてNPO法人キッズアカデミーせき園の開催する夏祭りに参加させていただきました。
ふるさと塾からは私を含め2名の参加でした。
夏祭りは、マルチミュージシャンとしても知られる富安秀行さんの指導で"ハッピーぶー"と呼ばれるお手製の笛作りから始まり、集まった全員でその笛を吹いたり歌ったりの富安コンサートを楽しみました。
その後には屋外で焼きそばやウインナーをおやつにしての立食会。
子ども達が一様に明るく、落ち着いて楽しんでいる様子が印象的でした。
NPOの交流会では岩原理事長から、保育事業として始めた園が知的発達障害児の居場所として頼りにされ現在に至ったこと、コロコロ変わる国の制度に翻弄され事業として安定することがないこと、中高生用の居場所づくりのために作業所の運営に乗り出そうとしていることなどのお話がありました。
また、理事長みずからスペシャルオリンピックスの運営にも参加されており、園内には走り回れる公園グランドも併設されています。そんな環境に加えて、動物や音楽、英語など様々な教育プログラムを取り入れた運営は先進的です。
新設予定の作業所の作業内容に薬草の栽培も考えているということで、薬草のエキスパートのいる、ふるさと塾に白刃の矢が立ちましたので、交流会終了後に作業所の運営についても短い時間でしたが情報交換を行って来ました。
今後、塾の理事会の議事にも取り上げて行きたいと思います。少しでもお役に立てればいいのですが。
地域社会の中で欠くことのできない事業であるのに安定した制度のない現状は、社会保障の後進国日本の縮図を見ている様です。NPOがまとまって、それらの課題を解決できる力になれたら素晴らしいですね。
次回は11月に「サポートセンターるはーふ」さんにお邪魔する予定です。
何事も百聞は一見に如かず。今後の活動の糧になる新たな発見も多いと思われます。次回はより多くの塾生の参加に期待して報告とします。
24日の夜に本年度4回目の郷土展望講演会に行って来ました。
今回は大野在住の船戸忠幸氏による講演会で、洞戸支配の変遷と題して、年貢記録からみた近中世洞戸(室町〜明治)の目まぐるしく変わった直接の支配者の考察に加え、年貢の区割りの方法から、洞戸地域が洞戸村として、あるいは16の各支村として扱われた時代が交錯した歴史が示されました。
更に年貢が金銭で納められていたこと。その額も江戸時代には六百両余りと高額で、洞戸が多くの豪商が集う財の集積地でもあったこと。などなど非常に興味深いお話が語られました。
当時の資源は炭や紙の自然からの恵みであり、今後の洞戸の復興にも川や山の資源を生かし新たな何かを生み出せないかとの提言で講演は締めくくられましたが、その後の質疑応答では、近世の話題ということもあって、聞き覚えのある人や屋号も飛び出し、いにしえの洞戸に親近感のわく一時を過ごすことができました。
洞戸近世の歴史は我々の世代には身近ですが文献が少なく、これを今の子ども達にどう伝えて行くのかも課題の一つです。