ほらど未来まちづくり委員会

洞戸地域が住みやすく活力ある地域として永続的に発展するための事業を展開しています。

洞戸歴史講演会(平成29年度)

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事業概要: 洞戸地域の歴史を地元講師の講演を通じて学ぶ。
担当部会: 誇りの部会
実施期間: 平成29年10月14日、平成29年11月18日

目 次

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  1. 講演会の概要
  2. 後藤達也氏の講演内容
  3. 船戸忠幸氏の講演内容
  4. 参加者の感想

1.講演会開催の概要

■ 第1回講演会

日時:平成29年10月14日(土)午後7時

場所:洞戸ふれあいセンター会議室 (入場無料)

演題:『高賀の魔物退治伝説』~隠された歴史の真実とは~

・「美濃国高賀宮記録」に記された二度にわたる魔物退治伝説が暗示するもの

・高賀山信仰と白山信仰とは

・「牛戻し橋」や「三千淵」の伝説にはどんな歴史が埋もれているのか

講師:洞戸歴史研究会副会長 

    後藤達也氏(下菅谷在住)

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■ 第2回講演会

日時:平成29年11月18日(土)午後7時

場所:洞戸ふれあいセンター会議室 (入場無料)

演題:『江戸時代の洞戸』~洞戸でも一揆は起こったのだろうか~

・幕藩体制

・江戸時代の美濃飛騨

・江戸時代の洞戸の状況

「留山御免の文書」「濃州徇行記」「鸚鵡籠中記」などの文献に基づき考察

講師:岐阜県文化財保護協会事務局長 

     船戸忠幸氏(大野在住)

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主催:ほらど未来まちづくり委員会(誇りの部会)

協力:洞戸歴史研究会

問合せ先:ほらど未来まちづくり委員会事務局 TEL0581-58-2115

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2.1 後藤達也氏の講演内容

■ 平成29年度第1回洞戸歴史講演会 講師:後藤達也氏

 『高賀山の魔物退治伝説』〜隠された歴史の真実とは〜

10月14日(土)午後7時より、洞戸ふれあいセンターの会議室において予定通り開催されました。参加者は21名でした。講演の最後には質問時間が設けられ、活発な意見交換がなされました。

【講演会の様子】

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【講演内容の概略】

 高賀山に伝わる猿虎蛇(さるとらへび)の魔物伝説は、まったく架空の作り話なのだろうか。高賀神社や近隣の寺社に残る儀式や信仰を考察すると、伝説の向こうにおぼろげながらいくつかの史実が推定されてくる。

 その一つが、朝廷の藤原氏が東国の支配を進めるために蝦夷(東国の民)や渡来系民族を一掃したときの、この地方での戦いである。もう一つは、高賀地方には、早くから会津などの東国の木地師が移住・定着していたが、ここに朝廷と結びついた近江の木地師が移動してきて、先住の木地師と争った戦いである。

 いずれにしろ、この中央から遠く離れた山峡の地にも時の支配者の影響を強く受けたことをうかがわせるもので、興味深い話です。

以下講演会スライドを写真撮影した抜粋です。

◯高賀の魔物退治伝説に隠された歴史とは

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◯三千淵とは

信長軍との戦いに関係しているらしい。そういえば揖斐川町の横蔵寺も信長に焼き払われたと言われており、同様なことが高賀でも起きていたのだろうか。

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◯牛戻し橋

朝鮮半島からの渡来人の信仰が関係しているようです。この山村にも朝鮮半島の信仰が色濃く影響しているとしたら興味深い。

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2.2 船戸忠幸氏の講演内容

■ 平成29年度第2回洞戸歴史講演会 講師:船戸忠幸氏

 『江戸時代の洞戸』〜洞戸でも一揆は起こったのだろうか〜

11月18日(土)午後7時より、洞戸ふれあいセンターの会議室において予定通り開催されました。参加者は26名でした。第1回と同様に、講演の最後には質疑の時間が設けられました。300年ほど昔、江戸中期の洞戸・板取に関する比較的身近な話題であり、活発な意見交換がなされました。

【講演会の様子】

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【講演内容概略】

 江戸時代、洞戸および板取は尾張藩の領地であった。江戸時代の中期に書かれた尾張藩の下級武士朝日文左衛門重章の日記『鸚鵡蘢中記(おうむろうちゅうき)』に洞戸・板取についての記述がある。それによると、1712年に、尾張藩による留山(入山禁止令)をめぐって、『留山御免』すなわち入山禁止の解除を求め、村人を総動員して岐阜代官所へ強訴すると同時に、更に代表者が名古屋藩庁へ直訴した。これはいわゆる板取村および洞戸村の住民による一揆であったと考えられる。この日記の記載は板取や洞戸に残る古文書とも符号する。

 この時代、村人の生活(経済)は田・畑だけでは成り立たたず、木材や炭薪などの生産と流通販売を通じて山に強く依存するものであり、入山を禁止されると生活が成り立たなくなる。生産の多くを担っていた板取村のみならず、その流通販売の一翼を担っていた洞戸村も、留山は死活問題であった。

〇江戸時代の武儀郡と洞戸村

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〇江戸時代、洞戸は尾張藩領であった。

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〇下級武士朝日文左衛門重章の日記『鸚鵡中記』に洞戸・板取の記載がある。

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〇鸚鵡中記の中に記載された留山(入山禁止令)をめぐる、強訴・直訴事件とその顛末。

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〇日記の記載をまとめると

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〇洞戸も強訴に参加したと考えられる根拠

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〇洞戸の古文書に記載される江戸中期の各地区の生活基盤

 田畑以外に、木材、炭薪、茶・和紙の生産と流通など商品経済に依存していたことがわかる。

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まとめ 

~江戸時代の洞戸の生活~

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(注)講演内容概略に用いました講演会のスライド資料は両講師の使用許可を得ています。

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3. 参加者の感想

■ 二つの講演を聴講して

講師の後藤達也さん、船戸忠幸さん講演ありがとうございました。

歴史には非常に興味があり、あっという間に講演時間が終わってしまった感覚でした。40年近く洞戸に住みながら、地元のことを知らない現実も思い知らされました。お話を聞くごとに、もっと知りたいという気持ちになり、本なども読み始めましたが、文語体や旧仮名遣いで書かれた文章は、何度も読み返さないと、ただ文字を追いかけるだけで、理解するまでに非常に時間がかかってしまう状態です。解りやすくお話ししていただける講演会が、今後も開催されることを望んでいます。(聴講者A)

 

洞戸に伝わる伝説・信仰や江戸時代の事件を通じて、洞戸の歴史・生活の変遷の一旦をうかがい知ることができました。板取・洞戸の大先輩たちは時代の荒波をうけながらも、しぶとく困難を乗り越えてきた。木材、炭薪など山に依存した経済⇒お茶、和紙の生産⇒養蚕・養鶏⇒縫製等と、生活の糧は時代の要請により生まれ且つ廃れてきた。さて、平成の時代も終わらんとする今、この洞戸の地をよりよい地域社会にしていくためには、どこに向かって何をしなければいけないのでしょうか。そして300年、1000年後に今の時代はどんな時代だったと語られるのでしょうか。(聴講者B)

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